怒りの感情は変化する~離婚から現在の元夫や家庭への気持ちの変遷

◆離婚とその後

今回は離婚前後の夫婦に起こった修羅場とその当時の激しい感情~現在の幸福感、元夫に対する感情の変化、経緯についてつらつらと書きました。

ちゃん東出昌大さんご夫婦の間にあったとされる出来事と類似している出来事が私の家庭でも起こっていたこと、その出来事の前後で私自身が感じていた感情なども思い出せる範囲で記録し、そこから現在に至る思いまでをめぐってみました。

◆お久しぶりでございます。

 

こんにちは。中野カンナです。

今回はまず冒頭から謝らなくてはなりません(;’∀’)

 

 

前回、「次回はちゃんと東出昌大ご夫妻の件を考えてみるよ!」と言ったはいいものの、かなり苦戦を強いられました(笑)←現在も絶賛格闘中。

 

ちょっとですね、あまりにもちゃんと東出昌大ご夫妻問題が考えていた以上に問題が広範囲に及んでいる!というのがひとつと、前提条件として大炎上になった原因のピックアップをしていっただけで、かなりの重量感ある数々の事象が乱立しており、キュレーションサイト並みのゴシップ情報調査を余儀なくされました(笑)

 

 

・・・そして、いろいろ意見するにも、やはり私の離婚までの経験とその9年後の心境を語らずには済まないようなところが出てきたことによって、

誰もよめないよ(爆)!

という文字量に達してしまいました。。。本当に、この量感問題は毎回毎回、我ながら遺憾です。

 

神サマ、今年は
私にまとめる力をください(祈)!

 

中野カンナ
中野カンナ

たのんます。

 

そういうわけで、一旦3分割し、今回は私の離婚前後~現在に至る感情面の変化についてフォーカスしてみました。(どうしてそんなに毎度毎度行き当たりばったりなのでしょうか!)

 

全部、きっと
今東京が寒すぎるからです(爆)
気温のせい・・・。

 

 

誰も私のような庶民かつ一般人の歴史など知りたくはないとは思うのですけれど、残念ながら今回も私が見事にすってんコロリンと大転倒をしたひとつの「転び続ける歴史」のちょっとしたクライマックスでもあるため、この失敗が誰かの糧となることを祈って、前向きに書いていきたいと思います(笑)。

 

また、書いていくうちに、私の離婚前の一家で起こっていたことと、ちゃんのご家庭で起こっていたとされることがたびたび酷似していた!という件がありました。(←すでにわすれつつあった)

 

今回も、そんなボリューミー過ぎる内容でまとめる力は読者にお任せスタイルです。ホントいつもごめんなさい。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

ブ?

 

 

◆我が家の離婚話~現在までのココロの変化をざっくり

 

私自身、
2011年に子連れ離婚をしています。

 


画像:『別離』エドヴァルド・ムンク

 

今思うと、「離婚」というものは「結婚」以上に私の物語の上で、人生のクライマックスだったなーという気持ちです。それを境に価値観も人間性も感情も全てが一転してしまった出来事です。ここまでくると、私にとって「離婚」は、「幸福力」獲得に向けた最初の一歩でしたと言えます。これが率直な感想です。

 

離婚は苦しすぎるけど
幸せの第一歩にもなる。

 

けれども、今、そうしたひとつの豊かな風景を手に入れた時に、それでも私が何度も繰り返し思うのは、「あの時、家庭を手放さない方法は本当になかったのか。」という問いです。この質問自体が「タラレバ」であり、不毛な問いでもあるわけですが、これだけは9年近く経っても時折つぶやいてしまう問いです。

どんなに何度考えてもあの時の自分、あの時の元夫では到底無理だった、というのが色々な角度から刺していっても、結局辿り着く私なりの「答え」です。

 

叙情さん
叙情さん

離婚前後は私の登場機会が多かったです。

 

また、これを「後悔」というのもそれもまたちょっと違うのです。私は現在「離婚」によって自力で獲得していったひとつひとつの力に感謝をしているということ、つまりは「離婚」も個人としては肯定ができていて感謝していること、それが私を今の幸せな風景へ導いてきてくれたという思いがあるからです。

 

この問いを胸に抱くこと自体、私がこの世界で今日まで生きながらえ、離婚後に獲得してきた様々な「戦利品」があったからこそのものだからです。それらは「離婚」という苦しみを伴う工程を介さなければ、私が生涯手に入れることができなかった可能性が高い感性や考え方です。

 

それでも、今日も私は同じ不毛な問いを自分の胸へ投げ続けるのです。

「あの時、家庭を手放さない方法は本当になかったのか。」と。

 

 

そういう雲が流れるようにゆったりとした気持ちで不毛な問いに心を寄せるなんていう贅沢へ至ったこと自体も離婚当時の暴れようを考えてみれば幸福なことだとも思いますし、元夫に未練があってやり直したいなんていうちょっと色々な意味で「怖すぎる」意味でもなく、今の幸せを十分噛みしめながら、少ししかない我が家の思い出を永遠そこばかり心の中で再生してきゅんとするとか、そんな感じです。

 

きっと、こうして少しセンチメンタルな気持ちで何となく「遠い家族」として存在しつつ、お互い「元気でやっていてね」とたまに思いを入道雲に乗せるくらいが最も幸せなのだろう、なんて思っています。

 

 

◆私たち元夫婦のやり取り~離婚前後は「怒りの感情の爆発期」

 

今でこそ、そんな穏やかな感情が続く日々ですが、離婚当時はお互いに全く違う顔をしていました。

忘れてはならないことは、人間の感情は時間と共に目まぐるしく変化していくという事です。その時のたった一言も、言われた方はずっと心に沁みついていたとしても、発信した本人の感情は車窓の風景のように一瞬にして飛んで流れていって全く別人のように変化していく…。(ココは「世界の車窓から」のテーマソングを頭で流しながらお願いします)

 

 

好きも嫌いも憎しみも怒りも悲しみも、一瞬の感情に執着するだけ苦しみが募ります。変わりゆくことが当然であることに固執することは負の感情を生むだけで、同じように変わりゆくその先の時点での真理ともズレてきます。自分が当時正義だと思ったことを後から考えるととてつもなくつまらないことだったということもよくある話です。

 

ああ無常。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

アチョー。

 

それに、自分でもビックリするくらい、「辛い事実や感情」というものは、その事実が「あった」「すごくツラかった」ということは記憶に残っても、当時揺さぶられていたものの詳細や感情の熱量なんていうものはどんどん忘れていくものです。

 

私も、あれほど憎かった元夫に今心から感謝している自分に、正直ホントビックリしています。でも、今の私にとって元夫が感謝すべき人であることは現在の真理なのです。

 

さて、

私が離婚を切り出した際に、元夫は「自分は離婚する気はさらさらなかったけれど、お前にここで死なれたらたまらないのでもう受け入れることにする」と言っていました。

 

そして、私たちの子どもの親権養育費に関する話を持ち出したところ、元夫からこう捲し立てられました。

 

 

「お前が離婚したいと言い出したのだから、子供の将来もお前が全部責任もって面倒見ろ、俺は親権も当然要らないし、カネも払う気はない。世話も仕事があるからできるわけがない。養育費もお前は元々金目当てで欲しいだろうが、俺は一切払わない!」

 

私もその夫のあまりに身勝手で無責任で親心もない言葉に対し、これまでのワンオペ育児の苦悩夫に対する恨みつらみも募っていたことから、頭が沸騰して怒りに煮えくり返り、同時にこれまでに人間に対して感じたことのない大きさの失望感と自分ではないのではないかと疑うほどの激しい怒り、説明できないほどの様々な負の感情がパンクしそうな容量で膨張し続ける状況でした。

 

なんて薄情で冷徹で、残酷な男なのだろう。

こんな男の娘として生まれた我が子はなんて哀れなのだろう。

こんな男に人生を捧げた私はなんて愚かで惨めな女なんだろう。

 

離婚後、2.3年間くらいは私の脳内は少し気を抜くと、ずっと上の3行のエンドレスリピートでした。もはや夫婦が協議できる余地などはなく、正直、私は殆ど殺意に近い気持ちを抱えて離婚しました。

 

ダイニングテーブルに
タテに包丁をぶっ刺して

ソッコー荷物まとめて出ていきました(笑)

 

 

今思うと、ほんとうに自分自身もあの当時は色々な意味で未熟過ぎたというか、もう少し、方法があったのではないかと思わざるを得ません。そういった無念があるから色々と今も考えるのかもしれません。

 

しかし、言い訳のように聞こえるかもしれませんが、産後1年半に及ぶ夜泣き・睡眠不足からの疲労困憊から引き続き継続してワンオペでマンションに母子孤独、その後パートに出たものの消化不良の疲労と虚無感は変わらず・・・という状況が約6,7年あった為、私は今思うとおそらく「産後鬱」では済まないだいぶ深刻なところまで精神を患っていました。すべての物事に対する耐性が失われ、自分でもびっくりするほど最後は衝動的でした。

 

中野カンナ
中野カンナ

毎日、ごみ袋の中でグラスやお皿を割って怒りをぶつけていました。

 

これ以上恥ずかしいことはないので、書くのはやめようかと思いましたが多分、今現在そういった状況に置かれている方やパートナーが同じような症状の方も少なくないのではないかと思うので、念のためやはり書くと、

 

私は結婚生活の中で自宅で何度も首に紐をかけています。夫の車で炭を焚くことも何度も考えていました。離婚前の1年間には何回もそういった衝動的な発作的希死念慮が私を襲ってきました。病院に連れていかれ、廃人になるような薬をたくさん投与された経験もあります。それでもそういった衝動的な発作は繰り返し起きました。

 

 

それでも毎回毎回、衝動を完結できなかったのは、「娘をしあわせな女の子に育ててあげたかったのに」「私は子供が本当に本当に欲しかったのに」「私はいいお母さんになりたかったのに」「明日、ママがいないと分かったら娘はどんなに困るだろうか」という想いが

 

毎度、あと少しで気を失うに違いないという直前に押し寄せて、私から完結するために必要な力を強制的に取りあげてしまうのでした。泥酔して実行しても必ず直前に同じようになるのです。

 

娘を置いてくだらない苦しみから逃げようとする愚かな母親であることや、死ぬことすら完結できない私に対しても何もかもが馬鹿げていて哀れに思えて、自分の存在すること自体の悲劇とその希薄さに頭がおかしくなり大笑いして声を上げながら泣き崩れる殆ど狂気の日々でした。これまでの人生の中で今思い出しても最も苦しい日々でもありました。

 

■この病気との死闘と回復までの経緯については、これまたボリュームがあるので、こちらに分割しました↓

産後鬱~精神病院・心療内科へ離婚前後の梅核気こころの回復の死闘
産後鬱から梅核気を起こすほどの精神的こころの病や心療内科、精神病院へ通院する経験、私に起こった「幸せが見えなくなる」心の問題の諸症状と現在に至る回復までの経緯、その際に通った各病院の事について治療方針や感想なども含めてお話しています。

 

ホントに衣食住があって、可能性があって、色々な選択肢があるのにも関わらず、どうしてそこまで追い込まれたのか、今となっては間違いなく起こらない事なのでちょっともう正直分かりませんが、当時はもう「幸せが見えない病気」にどっぷりという状況だったのだとしか言いようがありません。

 

 

◆私たち元夫婦のやり取り~離婚後は「新しい家電」が即登場

 

私たちはそうして夫婦として詰み、離婚をします。

 

元夫も最初は離婚を否定していましたが、彼は不動産会社の人間だったため、購入した自宅マンションを事故物件にしたくない気持ちと、妻を追込んだ男というレッテルを貼られたくなかったのか、私が本当に衝動を実現することがあり得るかもしれないという段階で離婚にはあっさり了承しました。

 

 

当時の私が未熟だったように、元夫だって未熟だったのですから、色々な発言や行動やその全ては仕方がなかったことだと今は思います。でもその時は、離婚を望みながらも、一方では元夫に対してもう自分の役に立たない、治る兆しの見えない「家電」は買い替えるんだなと強い憎しみを持ってすべてを考えていたのを覚えています。

 

あの時の私は自分でも認識していませんでしたが、きっと心の奥の奥の奥では何とかして家庭を継続して、夫と共に子供を守り、幸せな家族の思い出をつくりたかったのだと思います。でもどんなに頑張っても、元夫にはその気持ちが届くことはなく、私が妻では無理なんだという気持ちが心を追込んでいったのかなと思います。

 

実際、決断が早かったのは
私の代わりに家事をしてくれそうな女性が
彼にはもうこの時、いたのです。

 

離婚までには、薄々感づいてはいましたが、離婚届提出後10日ほどで夫には不倫相手がいたことが分かり、すでにその女性も元夫と私と子供たちの「家庭」があったマンションに離婚後10日で荷物を持ち込んで暮らし始めていました。

 

 

あまりにもこれまで元夫の行動には不自然なことが多かったので、彼に女性がいるのは何となく分かっていましたが、私の当時の「怒り」と「失望」の方向性はそこではなかったので、離婚までは別にどちらでもいいと思っていました。仮にいたとしても、そこへ損害賠償請求をする気持ちも私にはなかったからです。でも、実際にその存在が明確になると、意外とショックでした。

 

とても子育て中には
履けないような
彼女のパンプスが悲しくてショックだった。

 

「私たちの家庭のあった元自宅マンション」の靴箱にも私が使っていた化粧棚にも既にその元不倫相手である彼女の靴や化粧品がキレイに収納されていました。

 

結構、残酷なこと出来る
なかなか若いのに度胸のある女の子だったようで(笑)。

 

それを許す元夫もとてつもなく残酷な人だなと感じました。その元自宅は、私と元夫と娘の家庭がたった10日前まで存在した場所です。

 

ここまでもかなり被るシーンがあると思いますけれども、この場面は東出昌大さんが不倫相手である唐田えりかさんの行う様々な「匂わせ」行動を夫でありながら止めようとしなかったことに、とても似ていると思いました。

 

 

そこにピンヒールでランラン踏み込んでくるようなデリカシーのない女と一緒に暮らすことが、家庭で血を分けた幼い娘とたった週に1度の休みに遊んでやることよりも楽しいという感性をしている男性に、

私は人生のうち限られた20代、若い時代の少なくない時間をドブに捨て、娘を父親のいない子にし(←当時の心境です)、精神的にも経済的にも不安定な私という母親しかいない惨状にしたのかと思うと、本当に私が生きてきたこと自体が全て無意味で罪深いとも思いました。

 

そういえば、
彼と会った頃は
ピンヒール履いていたかもしれません。

 

でも育児や結婚生活の維持で疲れ切った私にはピンヒールはおろか、パンプスも無理でしたし、それにもうきっと自分は育児に疲れ切ってボロボロで、可愛いパンプスが似合う女性ではないのだとも思いこんでいました。

 

 

私をそんな女性にした元夫さえ
そこはかとなく憎かった。

 

元自宅には、その女性の住所やフルネームの名前も分かる写真付き身分証明書類も無防備にあり、髪の長い20代前半の女の子であることも分かりました。ちょうど、今世の中をにぎわせている、東出昌大さんの不倫相手として名前が挙がった唐田えりかさんと同じ位の年齢です。私は元妻、子供の母親として念のため、彼女の書類の写真を撮って帰りました。(結局使わなかったけど)

 

 

事前に相談していた弁護士さんには、元自宅へ忘れ物を取りに行く前に「離婚後に元自宅へ無断に入ることは不法侵入になる可能性が高いので、行くのであってもできれば分からないように帰ってくるか、元夫に面倒でも許可を得た方がいい」と助言されていましたが、当時の私は脳内感情が完全に怒りでバグっていた為、合鍵でとっとと乗り込み、

 

もう一度
包丁をリビングテーブルに
タテにぶっ刺して帰ってきました(2度目w)

 

 

今思えば、もし元夫とバッティングしていたら、そして一瞬気が違ってしまえば、凄惨な事件になっていたかもしれないので、ホント不幸中の幸いでした(;’∀’)

 

冗談ではなく、
その位の怒りの熱量があったという事です。

自分でも、自分の内側にここまでの大きさの怒りや憎しみが発生するんだということ自体に外側から別の人格をもつ誰かが驚いていたこともよく覚えています。

 

この辺りで出現しているのが「内側の人々」のお話関連でたまに登場する「デストロイヤー」です。この人が「怒り」を発生させており、今思うとそれ以外のキャラクターがその熱量にびっくりして離れたところからそれを見ていたのだと思います。この時には「デストロイヤー」は数ヶ月間くらい私の心の内側のリビングに常駐していた気がします。
このキャラ↓

 

デストロイヤー
デストロイヤー

・・・。

 

■最終的に私に離婚を決意させたきっかけは311.東日本大震災でした↓

離婚を決意させた311東日本大震災当時の妻の心境を振り返る
離婚を決意するきっかけとなった311東日本大震災当時の夫婦関係、結婚生活での妻側の心境を振り返るお話です。別れに突き進む思考回路を8年半経った2019年の今、回想します。

 

◆私たち夫婦のやり取り~「過去の女から恨みを買っている男」と関わってはいけない

 

その元自宅への侵入時(?)、自分でも不思議だったのが、
元夫の彼女である女性の関係書類の写真は一応念のため撮ったものの、その女性に感じていたのは、そうした一見、あまりにも脇が甘く、無防備で図々しくも見える態度に対する「怒り」以上に、

 

貴重な20代という女性にとって最大の財産とも言うべき時間を、こんな無責任で浅はかで愚かでしかない男に搾取される、いわば私と同じ運命をなぞる同性への「同情」しかありませんでした。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、本当に彼女へ憎しみを抱く気持ちには私はなれなかったです。

 

 

彼女はいわば
次の生贄。

 

元夫は、私との交際の以前にも「恨まれてもおかしくない女性(元カノ)」が居たことが私との結婚後発覚しているので、私自身もその女性から過去にきっと同じように被害者を憐れむ感情を抱かれていたのだろうともその時、ハッと思いました。

 

けれども、あろうことか元夫は結婚後も何度かその女性とも会っており、連絡を取り合ってたことが発覚していました。私は元夫に対し、「彼女からこれ以上、何をどこまで奪ったら気が済むのか?」と彼女と会うことをやめるよう訴えていました。この辺りも杏さんの話として出てきている情報と非常に酷似した事象です。

 

 

どちらかというと私は、パンプスでドカドカの20代女性よりも、私との交際以前に元彼女だったこちらの女性の事の方が気がかりだった気がします。というのは、彼女は話によると私よりかなり年上の女性で、元夫と別れた当初、すでに交際期間も数年、30代半ばになっているはずでした。またそれに加え、私との結婚以前に元夫との間の子供を中絶していたことが結婚後分かったからです。

 

■私の10代での中絶経験序章はこちら↓

10代の妊娠・中絶決意までの状況と心境回想~人生最初の大恋愛②
10代後半の恋愛で経験した「妊娠中絶」体験について当時の状況と心境、記憶を回想し、今現在のそれを踏まえた上で思うこと、考えを語ります。

 

それ以外にも元彼女の仕事を辞めさせてまでして、大阪から東京へ暮らさせ、数年間も時間を奪い、ようやく婚約にまで至って両親ともに顔合わせをしている状況での破綻だったそうで、なぜそれを私との結婚前に私に一言も報告しない?というダメンズ情報の数々が結婚後次々出てくる形でした。

 

元夫が彼女との交際が終わった直後に私と出会っていたということすら、私は暫く知りませんでした。それも殆ど入れ代わりに近い状態だったようです。その後しばらくして私と元夫が同棲を開始した後に、そのマンションを彼女が訪ねてきたこともありました。その時に元夫は彼女とやり直したいとも口にしていたのです。あの時にそうさせていれば。

そう思うと、もしかしたら、ピンヒールドカドカの方の彼女も、まさか10日前にこの家に家庭があったなんてことは知らなかったのかもしれません。

 

 

私が元夫と交際する前の大阪の女性は、私という存在の出現によって「結婚」と「出産」という女性にとって決して小さくはないライフイベントを目の前でふたつ潰されたことになります。

 

私と出会わなければ
私が止めなければ

彼女は元夫と結婚していたのかもしれない。

 

そして、その方が全員幸せだったのかもしれない。結婚期間中、ほぼすべての期間、妊娠中でさえ私は呪われたようにそのことを考えていました。離婚の直前期には今浮気しているのが大阪の元彼女で、彼女と再婚してくれたら本望だなと、まだ離婚前なのに考えることもありましたが、結果的には別の人でした。

 

こういった経緯があったもので、私たち家庭がダメだった理由に、元夫が過去の女性から多くの「恨み」を買っていたことも私は一因としてあったのではないかと正直思っています。

 

 

この世の中で、最も怖いのはお化けとか霊などよりも
生きてる女の念です。

 

恨みを買いそうな男性というのは、私ぐらいひたすら転び続けると、もう顔や気でほぼ見当が付くようになってきます(笑)が、一般的に結婚を考えるような20代や30代前半ではまだはっきりと判断できない事が多いです。でも、何となくのニュアンスは分かると思うので心当たりのある方は、参考になさってください。

 

接近危険です。
アンタッチャブルでお願いします。

なにとぞ!

 

出家さん
出家さん

女性に恨まれてはなりません。

 

私の元夫に関しては、それでも「お金である程度解決する主義」というか、元彼女と別れた後も東京にいる間中、家賃を元夫が負担していたようで、彼女が東京を引き揚げ大阪の実家に帰るという時には彼女の母親にも改めて元婚約者として謝罪をしたようです。また、私たちの離婚に伴う養育費に関しても同じような対応を現在まで行ってくれています。

 

根は腐った悪い人ではないのです。それは幸いでした。

過去ダメンズだっただけ・・・
(今は知らないですけど・・・)

ですから、現在は女性からの恨みも後付けで清算しつつあるのかも?しれません。

 

 

◆私たち元夫婦のやり取り~「養育費」と「面会」で繋がっている今現在、子供を介して遠い「家族」

 

そういうわけで私たちは離婚後、養育費の調停をして、子供の「養育費」については決着をつけました。(離婚の慰謝料などは女としての意地と養育費の保全のため、一切請求しませんでした。)

 

 

決着後も私は1、2年以上、極度の怒りと悲しみに襲われ、その消化に苦しみました。けれども、元夫は元夫であれほど当初拒絶していたにもかかわらず、調停が終わってからは現在に至るまで滞ることなく決定した養育費の支払い子供との面会についても継続してくれています。

 

離婚から3年を超えたあたりには私の方が今度は人生の再建にもがき苦しみ続ける日々が続いたことで、遠い昔に過ぎ去った過去である離婚時のことや、もう私の人生の主要登場人物ではない元夫への怒りどころではなくなっていました。

 

■この辺りの離婚後の再就職・仕事探しでもがき苦しむ話はこちら↓

離婚後の仕事探し職務経歴書。再就職に正社員不要説/会社退職1年③
離婚後に大苦戦した仕事探しと実際の壮絶な転職・再就職体験の職務経歴書から、正社員を目指すことの不要説に至った経緯を語ります。バツイチ子持ちの私が2018年に会社を退職してから現在までの1年間を振り返るシリーズその③です。

 

不思議なことに離婚当初、私はその怒りの感情から「養育費」は父親として当然の義務「面会」についても娘の養育を全て拒否していた無責任な相手だったこともあり、実施に対して半信半疑のような気持ちでいました。元夫も休みが少ない仕事で若くて独身の彼女もいたことからか、当時子供との面会について強く望んでいる様子はありませんでした。

 

 

その頃の私はもう自分自身の判断すら全て疑っていた為、色々な書籍を読んで経験者の意見を参考にし、幸せな未来を実現している多くの先輩方の意見に習い、面会ということを子供の為に残すという判断をしました。ですから面会開始時、それは母親も父親も特に望んでいないイベントでした。娘だけが唯一複雑な気持ちを抱きつつもパパに会う事が出来て嬉しかった様子でした。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

ぱぱ。

 

時間の経過によって元夫が娘の為に時間をつくって面会の時間も確保し、養育費支払いについても継続してくれている「事実」が重なっていくことで、それらが娘の養育にとって大きな救いとなるだけでなく、母親である私自身の慰めにもなっていることに気づきました。

 

小さな子供とは言え、娘の事を本当に愛情をもって長く暮らしていける人というのは思った以上に限られているということを離婚後、痛感するのです。

 

 

私の両親も現在ではもう同居が長くなったこともあって、諦めもあり私たちと「家族」として自然に暮らいけるようになってきていますが、それでも最初は「可愛い」というよりも母子で帰ってこられたことに対して「困ったな」「邪魔だな」「迷惑」という気持ちの方が特に私の母親は大きかったように見えました。

 

私の娘は私の母にとって実の孫ですが、出戻り娘のさらに「女の子」の子どもというところで、母は私と弟を差別して育てたように、体質的に「女の子」があまり好きではない女性なので、私の娘にも幼少期からとても厳しかったです。

 

それでも、私たちが外で暮らせば、私と娘の人生はきっと何十倍も過酷だったはずなので、身を寄せさせて貰えたことだけで本当に感謝すべきことです。

 

また、娘はそういうわけで小学校2年生には自分の上履きや水泳の水着を自分で洗い、小学校3.4年生頃からは毎朝自分で起きて自分で朝食を用意して食べ、学校へ出かけるたくましい子になりました。もちろんこれは本来母親である私がフォローすべきところであるのは言うまでもないので、「私の母のせい」ではない事です。

 

でも、なんというか私は年の離れた弟を溺愛して育てる私の母親をずっと見て思春期を過ごしたので、孫に厳しく当たる私の母の姿は正直、遠い昔に見た私に対する母の懐かしい姿でもあり、私自身(そして私の娘)は、私の母からは生涯愛されることのない存在なのだという再確認にはなりました。

 

娘には幸いそれが「当たり前」なので、昔の私と同じように特に今現在は何も思わないようです。それに、現代はもっともっと過酷な環境というのはいくらでもある事なので、こんなことでぶちぶち思うこと自体、感謝の気持ちが足りなすぎるのかもしれません。ただ、率直に言って娘が小さい頃の話や娘の同じ親として気持ちを共有できるのは、どう考えても元夫以外にはこの世界には存在しないということです。

 

私と結婚を踏まえて・・・と言い出す男性も、少なくとも私に近づいてきた人は皆、娘には関心が殆どなかったです。これは離婚するまで、私は考えたこともなかった衝撃的な事実でもありました。娘は小さくてまだ子供で、とても可愛らしい女の子です。存在するだけで誰からでも愛されるものだと私は思っていました。

 

ところが、世の中のほとんどは自分と関係のない子供には無関心なのかもしれないということが分かったのです。

 

そのことが分かってからは、娘の事を心配したり大事に思ってくれる存在は大事にしなければならないという気持ちが私の中で大きくなりました。元夫も元夫の両親も、離婚当時私は彼らに対して怒りと憎しみでいっぱいでしたが、娘への愛情という意味では私の母以上に強く持ってくれているということが分かっていました。ですから、何年か経過して元夫が彼の両親に娘を会わせたいという話をしてくれた時には、娘に菓子折りを持たせて会いに行かせました。

 

 

私には子供と離れて生きた元夫の9年間の気持ちが、どういったものだったのかは想像もつきませんし分かりませんが、彼も妻子と離れてどこかのタイミングで「父親として」色々な感情を抱き、何かしらの想いがあって養育費を毎月振り込み、娘と約束をして定期的に会ってくれているのだと思います。

 

■日本の養育費問題はこちら↓

新養育費算定表(2019年改訂版)相場見直し?公表!子供3人用も
新養育費算定表(2019年改訂版)が公表されました。子供3人用もあるシュミレーションにより具体的な参考金額が明示されています。養育費問題の根幹となる離婚後の元夫妻の問題についても書いています。

 

今では、元夫はたまに娘の様子を尋ねてきて、思春期に入った娘の色々な「困りごと」をLINEで親身に相談にのってくれています。私たち元夫婦は実際には会いませんが、離婚後にこうして時間をかけてお互いに新たな信頼を構築し、離婚しているけど「たぶん家族」のような現状に至っています。

 

離婚してるけど
たぶん家族。

 

 

約9年たった今現在は正直、離婚当時の沸騰した感情など私は殆ど忘れてしまったに等しく、また離婚後のバツイチシングルマザーとして、それなりの死闘もあってなのか、考え方がかなり変わったなと思っています。私自身がこれらの経験によって、格段に自立成長させてもらったからだと思っています。せざるを得なかったというか・・・(笑)。

 

ただ、それが幸福の始まりだったという事だけは、今は胸を張って断言できます。

 

 

同時に冒頭の話ではないですが、私には「あの時、私さえもっと自立した精神性であったら、私にはまだ自分の家庭があったかもしれない?」という問いもよく出てきます。

それに関しては実は「かもしれない」というたったひとつの△が挙がったりもします。

 

ただ、それこそ離婚しなければ獲得することができかったことの肝だったりもします。今思うと結婚当時は色々な意味でとても依存気質な女性だったため、ここまでに至る思考回路は、それ以外に道はないというような「背水の陣」状態でもがき苦しみながら乗り越え、精神的にも」「経済的にも」という2本の柱で自立したということでの結果論でもあります。

 

 

あのまま形ばかりの依存できる「家庭」を頑張って継続していたとしても、憎しみや怒りがその時間ずっと膨らみ続けただけで、私はこの風景には辿り着かなかったのではないかという気がしています。そこで得た力が今の自分の人生を豊かなものとして成立させている以上、今が多分ベストなのは明白です。

 

それでも、「私の家庭を失った」という喪失感はほかの殆どの悲しみが消えたり薄らいでいっても、私の中には未だに消えることが無く、転覆した海底に沈む客船のように波が静かな日にはその姿をゆらゆらと映し出します。

 

 

いずれ家庭を持っている人たちだって、
子供たちの旅立ちや、
伴侶との別れは訪れます。

 

だからそれが私には早く訪れただけだと言い聞かせている部分もあります。でも「離婚」とか「家庭がバラバラになる」ということがどれだけ大きいものか、こういう時代だからこそ書いておこうと思いました。

 

今、私は多分人生の中で最も幸福です。

また私は今、元夫に対して、結婚相手を間違えたなんて微塵も思っていません。

いい男と結婚して、
いい男と離婚した。

そんな気持ちでいます。

 

でも、「唯一無二の私の家庭を失った」この悲しみだけは、癒え切るということは、少なくとも私は、生涯無いと思います。「私と娘のたったひとつの家庭」だったのですから。

 

それではまた、お会いしましょう。

中野カンナ

 

結婚後の産後うつ~離婚前後の精神的病との死闘はこちら↓

産後鬱~精神病院・心療内科へ離婚前後の梅核気こころの回復の死闘
産後鬱から梅核気を起こすほどの精神的こころの病や心療内科、精神病院へ通院する経験、私に起こった「幸せが見えなくなる」心の問題の諸症状と現在に至る回復までの経緯、その際に通った各病院の事について治療方針や感想なども含めてお話しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました