船戸結愛ちゃん目黒虐待事件裁判公判判決と母親・優里と父親・雄大

◆話題のはなし

ここ近年、幼児に対する凄惨な虐待事件が続いています。その中でもとても残酷だった事件として、『目黒女児虐待致死事件』がありました。可愛らしい5歳の女の子の船戸結愛ちゃんの写真と両親へ許しを請う手紙、虐待の詳細が公判で明らかになると、その内容は日本が現在抱えている問題が凝縮された産物のように見えてきました。

今回は、クリスマスの日に最初の虐待が明るみになったという船戸結愛ちゃんの事件を母親である優里さんの目線と自分自身の経験と合わせて追っていきました。事件に加担するい色々な立場の存在が見えてきた気がしています。

  1. ◆日本の児童虐待事件件数が過去最多を更新し続けている30年間で150倍に迫る勢い
  2. ◆2018年3月『目黒女児虐待死事件』で最初に船戸結愛ちゃんへの虐待が明るみになったのはクリスマス、亡くなったのはひな祭りの前日だった。
  3. ◆『目黒女児虐待死事件』その両親船戸雄大、船戸優里は現実とかけ離れた世界の狂人ではない。
      1. ◆私自身の幼少期、元夫との結婚生活と重なる部分があった事件
  4. ◆2019年9月5日 『目黒女児虐待死事件』公判「実母・船戸優里被告人への質問」で明らかとなった目黒住所のアパート密室の出来事
    1. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(1)<弁護人側>
      1. ◆船戸優里被告の元夫と実子・結愛ちゃんへの面会、養育費問題
    2. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(2)<弁護人側>
      1. ◆わたし自身の離婚後の心境と「再婚」を考えていた話
      2. ◆妻・船戸優里被告が、夫・船戸雄大被告から受けていた精神的支配
      3. ◆継父(養父)船戸雄大被告が結愛ちゃんへの身体的暴行DVを開始する
    3. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(3)<弁護人側>
      1. ◆継父(養父)船戸雄大被告による結愛ちゃんへの暴行に対し、やめてと言えない実母・優里被告
      2. ◆2016年12月 船戸結愛ちゃんが1度目の香川県児童相談所による保護をされた
      3. ◆船戸雄大被告が抱えていた社会や自分に対する劣等感
    4. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(4)<弁護人側>
      1. ◆なぜ船戸優里被告は船戸結愛ちゃんを連れて実家へ戻れなかったのか。
    5. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(5)<弁護人側>
      1. ◆上京後に開始した船戸雄大被告の結愛ちゃんに対する食事制限と暴力
    6. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(6)<弁護人側>
    7. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(7)<検察側>
      1. ◆女性が社会で金銭を得られないということは、人間としての尊厳を支配されるリスクを負うということ
    8. ◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(8)<検察側>
  5. ◆2019年9月17日『目黒女児虐待死』結愛ちゃん母親・船戸優里被告 東京地裁判決公判
    1. ◆母親・船戸優里被告の判決 量刑理由①結愛ちゃんへの虐待の苛烈(かれつ)さ
    2. ◆母親・船戸優里被告の判決 量刑理由②結愛ちゃんに対する「不保護」
    3. ◆母親・船戸優里被告 量刑理由③結愛ちゃんの受けた身体的、精神的苦痛
  6. ◆2019年10月15日 『目黒女児虐待死事件』父親(養父・継父)船戸雄大被告の公判と東京地裁判決
    1. ◆父親(養父・継父)船戸雄大被告の判決「懲役13年」が船戸結愛ちゃんへの凄惨な虐待行為に対し、あまりに軽すぎるtwitter画像
  7. ◆『目黒女児虐待致死事件』被害者 船戸結愛ちゃんのメモをもう一度読む。

◆日本の児童虐待事件件数が過去最多を更新し続けている30年間で150倍に迫る勢い

 

2018年(平成30年)、厚労省によると児童相談所の児童虐待相談対応件数は約15万9850件で、警察からの通告の増加もあったことで前年度から2万6072件も増加し、過去最多をまた更新したそうです。

前年の2017(平成29年)年度が13万件超だった為、まだ件数が増加の一途だということが分かります。

 


画像:産経新聞

 

1990(平成2年)年度が約1,100件だったというデータがあるそうなので、30年で約150倍に膨れ上がっています。

 

 

◆2018年3月『目黒女児虐待死事件』で最初に船戸結愛ちゃんへの虐待が明るみになったのはクリスマス、亡くなったのはひな祭りの前日だった。

 

2018年(平成30年)3月に東京都目黒区で起きた養父と実母による虐待死事件、亡くなった船戸結愛(ゆあ)ちゃんに対する虐待が最初に表に出たのは2016年クリスマスの夜だったそうです。

 

 

小さな子供にとっては、1年で誕生日の次に嬉しいイベントであるはずのクリスマスに、船戸結愛ちゃんは寒空の下、香川県の自宅の外に放置されているのが見つかったのでした。

 

近所で家族そろってケーキを囲む声が漏れていたかもしれない日に、船戸結愛ちゃんがどんなことを小さな心に抱えていたのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがします。

 

 

実際に、船戸結愛ちゃんへの言葉ではなく身体的な暴力が始まったのは、それよりもさらに1ヶ月ほど前となる2016年(平成28年)の11月頃の事だったと実母である船戸優里被告は、裁判員裁判の中の弁護人による被告人質問で明らかにしています。

 

弁護人「初めての暴行は」
優里被告「1回目の保護の1カ月ぐらい前です」
弁護人「28年の11月ごろ、どういう暴行ですか」
優里被告「結愛の…」

《雄大被告の暴行を思い出し、涙で言葉に詰まる優里被告。絞り出すように話す》

優里被告「おなかを蹴っていました」
弁護人「あなたの目の前で」
優里被告「はい」

引用元:産経新聞

 

そのクリスマスの出来事から、香川県の児童相談所が2度に渡り、船戸結愛ちゃんを一時保護しており、香川県警も同じく2度、父親(養父で継父)の船戸雄大被告を傷害容疑で書類送検していましたが、いずれも不起訴となっていました。

 


画像:児童相談所の相談室/産経新聞

 

香川県に居た頃の父親(養父で継父)の船戸雄大被告の船戸結愛ちゃんに対する虐待は、これでもまだ序盤であり、上京後に起こる状況に比較すると、それでもまだエスカレートしていく前段階であったようです。

 

そこから約1年後の2018年(平成30年)1月に香川県から東京都へ移住して以降、船戸結愛ちゃんに対する身体的、精神的暴力に加え、食事制限も極端に厳しくなり、1月の時点でも約16.6キロだった体重はそこから激減していきます。

 

2018年(平成30年)3月に船戸結愛ちゃんが亡くなった時には5歳児の平均体重である約20キロを大幅に下回る約12.2キロという体重でした。

 

●被害者:船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時5歳
【死亡日】2018年(平成30年)3月2日
【死因】肺炎による敗血症で死亡

 

船戸結愛ちゃんが亡くなったのは3月2日であり、翌日は日本では女の子の健やかな成長を祝う日「ひな祭り」でした。

 

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◆『目黒女児虐待死事件』その両親船戸雄大、船戸優里は現実とかけ離れた世界の狂人ではない。

 

「5歳児への食事制限」「殆ど自宅で監禁状態」「子への虐待を看過し続ける母親」「教育という名で繰り返される虐待」・・・。

 


画像:iza

 

報道されるものは私たちの日常とは一見、かけ離れた異次元の狂人による別世界のもののように映りました。しかし、事件の内容を知るにつれて、それは本当にごく普通の家庭の生活の少し先にあるちょっとした感覚のズレから起こっていることなのかもしれないと思うこととなりました。

 

 

◆私自身の幼少期、元夫との結婚生活と重なる部分があった事件

 

わたしも5歳の頃は
父親から毎日殴られていました。

私自身、幼少期に父親から同じく「教育」という名の下で殆ど毎日のように床に飛ばされて倒れ込む程の強さで殴られて育った時期があるという経緯があり、また私がまだ20代の時には、初めての乳児をワンオペで抱え、睡眠不足と夫婦関係や育児によるノイローゼで精神脆弱の状況と、元夫からの高圧的な経済的、精神的支配を受けつづけていた状況を経験していました。

 


画像:https://www.sankei.com/

 

「目黒女児虐待死事件」に関わる公判の内容が明るみになり、実母・船戸優里被告と継父で養父の船戸雄大被告の語った内容を見ていくと、

 

私の幼き頃の両親幼き日の私自身当時の夫、結婚し乳児を育てていた頃の私自身の感情と非常に重なる部分があり、これは考えているよりも遠い彼方の狂人の世界の話ではなく、そもそも狂人というものは、すぐそこの日常からどこにでも誰からでも生れ出る可能性のあるものなのだという思いになりました。

 

現実と「事件」は考えているほど遠くにはない。

 
 
 
 

◆2019年9月5日 『目黒女児虐待死事件』公判「実母・船戸優里被告人への質問」で明らかとなった目黒住所のアパート密室の出来事

 

2018年3月に東京都目黒区で起きた養父実母の虐待により5歳女児の船戸結愛ちゃんが亡くなった「目黒虐待死事件」で、2019年9月5日、東京地裁にて裁判員裁判の第3回公判が行われました。

 

船戸優里被告人への質問が行われ、外界と切り離された密室の自宅において5歳の船戸結愛ちゃんが虐待され、衰弱死するまでの経緯が実母によって語られることとなりました。

 


画像:産経
 
 

初公判の罪状認否でも夫・船戸雄大(ゆうだい)被告からの「報復が怖かった」と述べていた船戸優里被告でしたが、第3回公判の被告人質問では他者が誰も知り得ることのなかった、より具体的な「家庭の内側」が浮き彫りとなりました。

 

以下には被告人質問(船戸優里被告)の内容が詳しく産経新聞社記者によって書かれたリンクを付けました。お子さんを持つ親御さん、その祖父母にあたる方々には読んでいただきたい内容です。

 

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◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(1)<弁護人側>

 

最初に語られたのは、船戸結愛ちゃんの実母である船戸優里被告と継父・船戸雄大被告との出会いに関する内容でした。船戸優里被告には前段階で既に通常よりも困難と思われる状況がありました。

 

●2011年(平成23年)19歳の時に結婚
●2013年(平成26年)前夫との間に女児(船戸結愛ちゃん)を出産
●2014年(平成26年)22歳で元夫と離婚
<再婚まで1年半>2人暮らし、実家家族と4人暮らし(在職)
●2015年(平成27年)船戸雄大被告と職場で出会う
●およそ半年後の2016年(平成28年)4月に船戸雄大被告と再婚(24歳になる年)

 

離婚して再婚するまでの1年半の時間について、船戸優里被告は結愛ちゃんの事を大事に思って暮らしていました。

 

優里被告「とにかく、結愛の笑顔を…見るのが仕事の疲れとかを癒やしてくれる感じだったし、結愛が楽しくいられる生活を心がけて過ごしていました
引用元:産経新聞

 
 
 

また船戸優里被告は、19歳で結婚、21歳で出産という時間をそこまで過ごしてきていた為か、

「自分は一般的な女性に比べて、知識の上でも社会経験の上でも不足していることが多い」

という自己認識が大きかったようです。8歳年上の船戸雄大被告に対してはこのように語っています。

 

優里被告「私が社会に出ていなくて無知だったので、雄大に出会って雄大は色んな知識を持っていたので、それを教えてほしいと思いました」
引用元:産経新聞

 

 

そして、再婚する段階では船戸雄大被告は船戸結愛ちゃんに対しても肩車やスキンシップをとったりと可愛がっており結愛ちゃんも船戸雄大被告を『おにいちゃん』と呼んで自分から船戸雄大被告の膝に乗るようなこともあり、甘え、なついていたと話しています。

 

結愛ちゃんがなついていた。

 

これは、母親の船戸優里被告にとっても、明るい未来を再度描くことができる希望となったことだろうと思います。きっとこれで私たち母子はこれまでを取り返すくらい、幸せになれる、そう感じたかもしれません。

 

弁護人「結愛さんのパパになってほしいと思いましたか」
優里被告「そのときはそう思いました」

弁護人「どうなってほしいと思いましたか」
優里被告「結愛が一番楽しく過ごせる家庭を作りたかった」

引用元:産経新聞

 

私自身、学生時代に1度妊娠中絶を経験していた為21歳という、自分の人生がこれから形作られるという時期に妊娠し、自分の人生を差し置いても出産するという決意に船戸優里被告が至った状況について、とても思うところがあります。

 

経済力もない若い年齢でそれが何を意味するかを考えた時に、母親としてよほどの想いがないと決断できないことだとも思います。

 

■私の10代妊娠「出産しない」決断に至るまでの事はこちらで紹介しています↓

10代の妊娠・中絶決意までの状況と心境回想~人生最初の大恋愛②
10代後半の恋愛で経験した「妊娠中絶」体験について当時の状況と心境、記憶を回想し、今現在のそれを踏まえた上で思うこと、考えを語ります。

 

◆船戸優里被告の元夫と実子・結愛ちゃんへの面会、養育費問題

 

また私が気になったのは、この一連の事件に関して、船戸優里被告が結婚した元夫、つまり結愛ちゃんの実父の存在がこの事件に関して全く出て来ないということでした。

彼は元妻子に対して離婚後「養育費」を支払っていたのか?結愛ちゃんと定期的に「面会」していたのか?という事です。

 

ひとつだけあったのは元夫の父親、つまり、結愛ちゃんの実父方の祖父の話です。息子の気持ちを思いながらも、事件の現実のひとつに加担していたという意識はなく、正直、母子を追い込んだ問題に対して非常に他人事という印象がするなというのが私の主観です。

 

事件後に息子(結愛ちゃんの実父)と食事をしたという。

「息子はな、気を遣ってかなんも言いよらん。俺も思い出させるのはかわいそうやけ、あえて触れんようにしとる。ずっと抱えて生きるのはあまりにかわいそうやけ」(祖父)

「離婚後にな、息子が小さい子どもの面倒を見よったときがあった。そしたら“オレ、別れてから(結愛のことを思い)涙が出よった”ってポツリと言ったんや。大事に思っていたし、会いたかったと思うよ。でも、優里に男ができたら会いにいけんやろう……

 結愛ちゃんは“前のパパがよかった”ともこぼしていた。実父はどのような思いで報道を見ていたのか。

引用元:週刊女性PRIME

 

どうやら話から結愛ちゃんの実父は「面会」をできていなかったようです。おそらく「養育費」も同様だと思います。

 

これは私の勝手な推測に過ぎませんが、「船戸優里被告の元夫「同い年」だった」というところから、19歳で結婚し、同じく21歳で父親となった若い男性が、この日本社会で「養育費」「定期的面会」結愛ちゃんの父親として果たしたとはそもそも考えにくいという事です。

 

なぜなら、
この国で「養育費」をきちんと受給できている母子世帯は全体の4分の1未満

 


画像:NHKニュース

 

「養育費」は国が定めている「養育費の算定表」では相手(養育しない方の親)の所得によって金額が変わるため、

ほとんどの場合において母子家庭にとっては子供に十分な保護と教育を与えながら生きるには相当厳しい金額である状況です。

それ以外にも多数の問題を抱えています。

 

●養育費の金額や貰える権利自体を明確に確定するまでに時間と労力、手続きがかかりすぎる(裁判・調停)

●たとえ確定できても支払って貰えるかは別であり、払われない場合の請求手続きや差押え等の手続きも圧迫されている母子の生活の中で自力で捻出しなければならない。

●DV暴力等の場合、元夫との関係自体を根絶する目的での離婚である場合が多く、本人との関係が続いていく「養育費」は諦めるしかない。

●そもそも借金などの金銭トラブルを原因とした離婚の場合、同様に関係を断つことが目的であることが多く、さらに支払い能力も相手にはない

 

 

正直、結愛ちゃんと同じ5歳の娘を連れて離婚し、養育した私の経験からの率直な意見としては、下記事項を早急に解決しないと、日本の母子を本当の意味で救うことはできないですし、延いては日本の将来を守ることもできないと感じます。

 

●離婚時に最低限養育費として受給が必要な金額養育する親の収入から国が算出し、金額を確定する。

●養育費支払い義務者の所得と照らし合わせ、支払い能力に合わせて月々養育費を課す。不足分は国が補填する(分割支払いの為の貸付制度導入か、国が全て残金の負担をするのか等は議論が必要)※養育しない側が支払いで潰れても子に利益はない

●税金徴収と同様に、国が養育費支払い義務者から金額を徴収督促送付差押え等行う

●義務者の支払いの有無とは関係なく、立て替えてでも必ず国が毎月養育費を養親へ支給する

●再婚をした場合に養育費支払いの義務が元夫から無くなる場合が多いようだが、基本的に自分と血のつながらない子供に対して、自分の資産や労力を快く捧げる他人はたとえ再婚に至ってもほとんど居ないという前提で実父の親としての義務をほどいてはいけないと思う。母子の保護を手厚くするべき。

 

■「養育費」問題に全国に先駆けて動き出した明石市長のお話はこちら↓

【明石市長快挙】子ども養育費の不払い立替え回収・貧困防止策始動
明石市長が子どもの「養育費不払い問題」への対策として、離婚した親へ不払い立替えや回収についての具体的な案を始動させました。ひとり親家庭、シングルマザーの貧困防止への取り組みから、私自身の経験した「養育費」調停経験も踏まえて書いています。

 

もう一点、あまりにも多い離婚後数年での子連れ再婚。。。

 

子連れ離婚した場合の母子には
再婚しなければ、
経済が立て直せない
という状況が
多くあるのではないだろうか。

 

起こってしまった事に対して、たらればでの話は無意味かもしれないですが、船戸優里被告がもし、「養育費」をきちんと受け取れていたら、もし、元夫が「面会」を定期的に行っていたら、と考えた時、船戸優里被告は判断能力が無くなるほどの追い詰められ方をしただろうか、そこに至る前に選択肢があった可能性があること、

元夫が船戸結愛ちゃんの変化や異変に気づける存在となり、救えた可能性すらあることを感じます。

 

すべて責任から逃げて母子を追い詰めたのは、船戸雄大被告以前に、船戸優里被告の元夫じゃなかったのか?

 

 

全く船戸優里被告を擁護するつもりはないですが、自分自身にあったかもしれない自己実現の未来を放棄し、時間も労力も精神もお金もかけて、子供を育てるため、自分たちの人生を取り戻すために少なくともひとりで格闘していたはずの船戸優里被告に比べ、

 

相手の男性(元夫)に養育費負担や面会すらないのであれば、本来、船戸結愛ちゃんの唯一無二の実父だったにもかかわらず何一つ奪われるものもなく、自覚がないまま、テレビゲームのようにリセットボタン1つで新しい人生を取り戻しているのかもしれないのです。

 

そして、同じように義務を全く負わない方法で船戸優里被告と船戸結愛ちゃんのような未来の希望を摘まれた母子を今もこれからも次々生み出しているかもしれないわけです。

 

顔の見えない元夫だって、
母子の未来に
かならず影響している。

 

主観が強すぎるかもしれませんが、私はそう思わずにはいられませんでした。自分の人生を守ることを優先し、子供を守れなかった意味では正直、手を汚さなくとも罪の重さは同じである気が(私は)します。

 

事件によって名前も顔も知られ、鬼母と言われ、これからどんな生き方をしたとしても日本社会で生き残っていくこと自体が困難になりつつある船戸優里被告。

でも、彼女たち母子に元夫がこれまで義務を果たしていなかったとしたら、元夫が今普通に暮らしていけるのはなぜですか。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(1)「結愛が一番楽しく過ごせる家庭を作りたかった」DVについて語ることで被害者面面することが嫌だった

 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(2)<弁護人側>

 

今度こそ、結愛ちゃんのためにも「幸せな家庭を」という想いで2016年(平成28年)4月に船戸雄大被告と再婚した船戸優里被告(当時24歳になる年)の心境は私の離婚直後の心境ととても重なるところがありました。

 

 

結婚した当時の船戸結愛ちゃんの年齢は3歳になる年齢ということで、まだまだ養育には物理的時間と労力の双方手がかかり、母親の船戸優里被告はとても新たに働ける状況ではなかったと思います。また、とくに東京都は慢性的な保育園の待機児童問題も抱えていました。

 

■待機児童問題ここで触れています。

 

現在無職で社会経験も学歴もないという自己認識の船戸優里被告が、船戸結愛ちゃんのこれからの教育や将来に向けた展望を考えた時、最も最初に考えるのは「経済的立て直し」のことだったろうと思います。

 

 

そして、まだ20代前半の船戸優里被告が女性としての自分の人生を考えた時に、これから先ずっとひとりで船戸結愛ちゃんを育てていくことも「もう生涯、夫を持たない」という決心をすることも年齢的にきつかっただろうと思います。

 

まだ子供が小さいときに再婚することで新しい家族が負担なく融合できるようにという考えもあったかもしれません。

 

 

◆わたし自身の離婚後の心境と「再婚」を考えていた話

 

それらを包括的に解決する方法として最も有効なものが「再婚」であったのではないかと思います。

 

社会にまともに出たことのない自分(船戸優里被告)が、経済的な自立をするのを待っていたら、達成できるかどうかも分からない上に、その間に娘は大きくなってしまう。子供が大きくなれば、新しい家庭のバランスを整えるのが難しくなってしまう。早くしなければ。

 

子供を抱えての離婚は自分自身が負う心の傷と、子供から家庭を奪ってしまったという親としての心の傷でとても大きなダメージを負います。自信も失い、将来に対するあらゆる不安から、精神的な余裕もなくなっていきます。

 

 

私自身も今、離婚後の事を思い出すと、とても精神的に不安定な時期が長く続き、全般「正常」でなかったという印象を持ちます。それでも娘がもし居なかったら、と思うとそれだけが私にこの世界で生きる必要を感じさせてくれる唯一のものだったので、娘が居なかったらとっくに私はすべてを放棄していたと思います。

 

実家に戻ることができて、調停後には定職もあり、養育費もそれからずっと受け続けてきたという経済的に困窮するリスクの殆ど無い、恵まれた環境の私でさえ、

 

本当に本質的な回復に至ってきたと思えるまでには、5年か6年か7年か、その位の月日が掛かりました。そこまでは人生最大ともいえる絶望を伴った日々で、精神的に不安定で判断や感受性もとても正常ではなかったと思います。

 

もっと恐ろしいことは私のそういった負の「気」が娘に影響を及ぼしてしまう事でもありました。ですから、できるだけそうした負の感情を娘に浴びせることがないようにそれだけを考えて時が過ぎていくことだけを待ちました。

 

 

最初の頃は「正常とは思えない思考回路」で再婚についても、とても積極的に私も考えていたように記憶しています。実際に結婚に対して前向きな男性も現れていました。(正直、結婚してしまおうかとも思っていた時期がありました。)

 

それでも踏みとどまったのは、1回目の離婚で私は独身時代の貯蓄を多く失っており、精神的にも生死の境に居たこと。これで2回目もダメだった時に、もはや立て直すことはおろか、母子で逃げる選択肢気力自体を失うと思ったからです。

 

また、再婚相手との間に子供を持ちたくなかったことも理由としてありました。娘の最初の家庭をこわし、日常から「パパ」を奪った私が、娘に対してさらに哀しみを与える可能性のある事を選びたくなかったからです。それは相手や相手の家に嫁ぐ身として、許されない私の事情だろうとも思いました。

 

 

その時点で自分自身の判断能力自体を私はすでに疑ってもいました。(前婚がダメだった)私に、正解を選ぶことはできないだろう」という気持ちです。

 

そして、これだけ私が再婚にあたって相手の「家」に関わる問題まで考えていたのに対し、「結婚を考えている」という相手の男性が娘の事について全く尋ねてこない、会おうともしないことをとても不自然だと感じました。

 

これは後から分かってきた事ですが、血のつながりのない子供に対して精神的、経済的な資力を投じて愛しつづけることができる人というのは残酷な話ですが、非常に稀だと思います。

 

 

人格者だなと思える男性も何人か居ましたが、その人たちですら子供の件は私という「女性」とは切り離されて情報処理された「別件」であり、私は離婚後まだ結局一度も、我が子を私自身と同様に愛してくれる気持ちをある人というのは正直会ったことがありません。これからもおそらくないと思います。

 

ステップファミリーとして成功された方は、きっと私とは違うアプローチをされているのだと思います。子連れ再婚を離婚後すぐに考えている方は、成功した人の見解をたくさん収集した方がいいと思います。

 

離婚後の「面会」についても、離婚直後は私は「養育費」すら支払う気がなかった相手に対して「面会」の機会を持つ意味が疑問であり、正直全く前向きではありませんでしたが、

離婚した女性たちの多くの意見を参考にして「面会」の機会を残すことにし(その時も同様に自分の判断を疑っていたので)、残して本当によかったと現在は思えています。面会を継続してくれて来た元夫に対しても、今はとても感謝しています。

 

■ステップファミリーの件はこちらで少し触れています

 

私の場合は「私自身」の一部に「娘」が完全に組み込まれており、それをまるっと受け入れられる人でないと人生を共有したところで、うまく結婚生活が運ぶ自信が全く持てなかったので、「再婚」は経済的にきちんと自分が自立するまで保留とし、「再婚」を考えない交際だけをしてきました。

 

経済的にある程度整った頃になると、私の精神状態もだいぶ回復して強固になり、現在離婚後もうすぐ9年ですが、不思議なことに「再婚」自体が無意味だと感じるようになっていました。

 

 

◆妻・船戸優里被告が、夫・船戸雄大被告から受けていた精神的支配

 

入籍直後から、船戸優里被告は船戸雄大被告から日々、自分自身の「性格、行動、発言」についてのことに加え、結愛ちゃんへの「しつけ、生活」について厳しい説教を浴びせられるようになります。

 


画像:iza

 

経済力のない女性が
経済力のある男性に
支配されるのはほぼ宿命。

 

・・・である気が、これは私の人生がそうだからかもしれませんが、特に関係が若い頃はそんな気がしています。相手によって支配欲の程度が違うだけ。

 

会社組織と自分との関係を考えてもそうだと思います。結局、自分の身を守るには自分が生きていけるだけの「経済力」をつけるしかないのです。

 

弁護人「何度も反省して、何度も説教される。それで雄大さんに言われたことをメモにしだしたのはいつごろからですか」
優里被告「(28年12月に)1回目に結愛が(児童相談所に)保護された次の日からです」
引用元:産経新聞

 

徐々にその精神的支配はエスカレートしていき、船戸優里被告は船戸雄大被告から「反省した態度」をきちんと示すように促されます。

 

優里被告「何回言っても許してくれないので、自分を傷つければ分かってくれるかなと思って、自分の髪の毛を引っ張ったり、太ももを次の日に真っ黒になるまで叩いたり、自分の顔を叩いたりということを見せました」
引用元:産経新聞

 

とても正常な精神状況とは思えない状態の、船戸優里被告の姿があったことが分かります。

 

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◆継父(養父)船戸雄大被告が結愛ちゃんへの身体的暴行DVを開始する

 

さらに、まだ香川県に居る時である2016年11月の段階で、船戸雄大被告は当時、3.4歳であった結愛ちゃんの腹部を蹴り上げるという直接的な身体への暴行に及んでいます。それを境に船戸優里被告は結愛ちゃんへ反省文を書くように指示するようになります。

 

弁護人「おなかのあたりをサッカーボールのように蹴ったということですね」
優里被告「はい」
引用元:産経新聞

 

この娘・結愛ちゃんに対する暴力の光景が、戸優里被告にとってトラウマのような光景となったということを後に語っています。その衝撃によって、もう夫から怒りを買わないで済むことだけを必死に考える思考回路へとなってしまったのかもしれません。

 

どうして、この段階で
母子で逃げなかったのか。


最初に事件を知り始めた際に不思議で仕方なかったのですが、もうこの段階で船戸雄大被告の船戸優里被告へ対する精神的な支配が完全に出来上がっていたともいえるのかもしれません。

 

結愛ちゃんだけでなく、船戸優里被告自身も結愛ちゃんが見ている前で船戸雄大被告から暴言で叱りつけられたり、顎を掴まれ頭を上下に揺らされたり、鼻や耳を引っ張られたりしていたようです。明らかに精神的に自尊心を踏みにじるDV、暴力でしかありません。

 

船戸結愛ちゃんは大好きなお母さんがそうして船戸雄大被告によって痛めつけられる光景も見続けてきていたのでした。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(2)「夫による毎日長時間に及ぶ説教」と精神的支配の経緯

 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(3)<弁護人側>

 

2016年11月に船戸雄大被告が初めての船戸結愛ちゃんに対する直接身体へ及ぶ暴行の光景を見た際の心境について、弁護士から船戸優里被告へ質問があります。

 


画像:産経新聞

 

我が子への暴力を止められないのはなぜなのか。

 

 

◆継父(養父)船戸雄大被告による結愛ちゃんへの暴行に対し、やめてと言えない実母・優里被告

 

なぜ、逃げなかったのか、
なぜ、止められなかったのか、
そこが同じ娘をもつ母親として、私にはどうしても理解が出来なかったことでした。

 

弁護人「止められなかったんですか」
優里被告「止められませんでした」

弁護人「どうしてですか」
優里被告「体と口が動かなかったです」

引用元:産経新聞

 

あまりのショックな光景に、船戸優里被告の記憶さえ僅かしか残っていない状況だったようです。船戸結愛ちゃんに対する暴行が終わった後にようやくやめてと言えたようです。

 

弁護人「それに対し雄大さんは何と言いましたか」
優里被告「『お前が結愛をかばっている意味が分からない』って」

引用元:産経新聞

 

この辺りの前後の記憶はないと船戸優里被告は質問に対して語っていますが、感情として「怖い、悲しい、痛い、つらい」ということは強く残っていたようです。

 

 

◆2016年12月 船戸結愛ちゃんが1度目の香川県児童相談所による保護をされた

 

そこから1か月後の2016年12月、香川県の児童相談所船戸結愛ちゃんが1度目の保護をされます。冒頭のクリスマスの出来事です。

 


画像:産経新聞

 

その時に船戸優里被告は「自分も一緒についていきたい」と2度警察官へ伝えます「暴行されているか」という問いに対し、「暴行=体に物理的なあざや傷があること」と認識していた船戸優里被告は「暴行は受けていない」と答え、一緒に児童相談所へ付いていくことは諦めます。

 

結愛についていったら不都合なことがあるのかと思って。取り乱しても結愛を帰してもらえなくなると思い、(それ以上)『私も結愛についていきたい』と言えなくて黙っていました

 

この前後に、結愛ちゃんは『ママもたたかれている』と言っていたそうです。結愛ちゃんは自分の方がひどい暴力を小さな体へたくさん受けながらも、ずっとママを助けたいと思っていたのかもしれません。

 

 

2回目に香川県の児童相談所によって船戸結愛ちゃんが保護された時、船戸結愛ちゃんのお腹にはあざ、唇にケガもあったにもかかわらず、船戸雄大被告は船戸結愛ちゃんへの暴行を認めず、俺がやったことではないと船戸優里被告へ説明していたようです。

 

優里被告「雄大がまた結愛のことを悪者にしているとすごく腹が立ちました
引用元:産経新聞

 

船戸優里被告はすでにこの時には夫・船戸雄大被告に対する信用が揺らいでいるような感情を抱いていたことが分かります。

 

優里被告「『児相の人は他人だから、結愛のことを考えていない。マニュアル通りに勧めている。結愛のことを考えているのは母親のお前でもなく俺なんだ』と言っていました」
引用元:産経新聞

 

船戸雄大被告が自身の公判を通しても語る「船戸結愛ちゃん」に対する「教育」という気持ちには別の大きな闇が背景にあることを感じさせるものです。

 

 

◆船戸雄大被告が抱えていた社会や自分に対する劣等感

 

一般的な家庭にありがちな「妻へ子育ての丸投げ」という、ネグレクトにも無責任にも近い父親の、無関心や熱意の希薄さという消極的暴力ではなく、

 

船戸雄大被告の現実には「教育する意思」が強くあったというところに逆に怖さがあります。もっと言うと、船戸結愛ちゃん、船戸優里被告の為にやっているのだという自分本位でありながらも、そうした気持ちがあったことが実際に語られています。

 

 

ここから推測できることは船戸雄大被告には

自分に対する社会的評価への不満
経済的な不足感
親から受けたプレッシャー

が妻子とは別の所で大きく影響している印象があることです。

 

変な話ですが、私の父親が幼少期に私を毎日殴りつけていた頃、父親の事業はまだとても不安定な時期でしたし、家はあまり裕福な方ではなかったと思います。

 

しかし、その後暫くして父親の事業が軌道に乗り、私の家は自宅を新築、弟も生まれました。

私自身の成長や父の人としての成熟も確かにあったとは思いますが、「家に」済的なゆとりが出てきた頃、私はピタリと殴られなくなり、母が洗面所で泣く光景も全く見なくなりました。弟に関して言えば、おそらく一度も父親から殴られたことはないと思います。

 

当たり前ですが、経済的ゆとり精神的ゆとりと密接しており、ゆとりのある人間は他者を支配しようだとか言うことを聞かせようなどとは思わず、相手の気持ちを待てる忍耐力が持てるのだと思います。

 

つまり、船戸雄大被告にはそうしたものがなく、彼自身がどうにもならない劣等感から潰れそうな自尊心を保つために、自分より圧倒的に弱い妻子を力で支配したい、うっぷんを晴らしたいという欲求があったのかもしれません。

 

これは社会全体が貧しくなれば、今後どんどんこうした事象が広がる可能性のある暴力だということを意味することでもあると思います。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(3)夫が娘をサッカーボールのように蹴り上げる暴行、2度香川県の児相に保護される

 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(4)<弁護人側>

 

香川県の児童相談所に船戸結愛ちゃんは2回保護も保護され、継父である船戸雄大被告は同じく2度、傷害容疑で書類送検されていながら、2回とも不起訴となりました。

 

 

そこには船戸雄大被告が船戸優里被告へ具体的に指示した「警察」用、「検察」用の対応メモが裏にあったようです。

 

弁護人「しょっぱなに父親からの母親に対するDV(家庭内暴力)虚偽の1となっている。どういう意味ですか」

 優里被告「結愛のことを嘘つきと言っていて、その理由はお母さんもたたかれてるんだって発言したことは雄大は嘘だって言って、『俺はお前にDVなんてしてない』と確認を取ってきて、私もばかだから『うん』って言いました」
引用元:産経新聞

 

船戸雄大被告は船戸優里被告に対し、船戸結愛ちゃんを子ども扱いするな、かまうな、くっつくな、ハグするなと命令していたそうです。この時の結愛ちゃんはまだたった4歳の少女です。4歳でもう母親から抱きしめても貰えないなど、とても残酷な事です。

 

船戸優里被告はすでに香川県に居た時点で離婚についても考えていました。

 

 優里被告「まず結愛を施設に入れて雄大を引き離し、きちんと離婚してから絶対に結愛を迎えに行くんだと。その方法しか思いつかなかったです」
引用元:産経新聞

 

ここでも、ひとつの違和感が残ります。なぜ一緒に4人暮らしもしたことがあるというのに、ここまでの緊急的な状況に際し、船戸優里被告は船戸結愛ちゃんを連れて

実家へ戻らないのか。

 

「児童相談所へ結愛ちゃんを入れて、離婚し、迎えに行く」という思考回路があるというところで、船戸優里被告の思考回路はかなり冷静かつ十分に考えられているものだと感じます。その思考回路がある状況の中で「実家へ戻らない」理由として考えられることはひとつです。

 

戻れるところではなかったから。

 

 

◆なぜ船戸優里被告は船戸結愛ちゃんを連れて実家へ戻れなかったのか。

 

私自身はこんな危機的局面においても船戸優里被告が「帰れない」と判断した気持ちは、何となく分かる気がしています。

 


画像:https://www.sankei.com/main/topics/main-36480-t.html

 

両親に喜ばれて結婚したにもかかわらず、バツイチ子持ちで出戻ってきた娘を、親戚近所からの目や経済的負担などで煙たく思う親は少なくないと思います。それが十分分かっているだけに娘としても、出戻った際はとても親に対し申し訳ない気持ちも持ちます。

 

私も娘を連れて、いざ実家へ出戻った後は正直ボロボロに傷ついていました。それなのに親からも「堪え性がない、自分が若い時には我慢をした、子供に対して無責任すぎる」等、さらに追い打ちをかけるように言われ続けていました。そんなことはとっくに本人は自覚した上で、それでも離婚しているのです。

 

「じゃあ、あの時にやっぱり私はあそこで娘の前で首つって、死んでいればよかったとでも言うの?それより今が無責任だとでも!??」

 

と父親へ発狂して怒鳴ったことで、以来、我が家では直接責められるようなことは暫くなくなりました。

 

娘としても親に迷惑は掛けたくはないけれど、経済的なことを考えたり、そもそも働くにも小さすぎる子供がいて、早く経済的に安定へ向かうには、頼れるならば頼った方がいい、けれども色々と毎回お願いをするしかない状況が続くことが自分にとっても精神的に小さくない負担となってきます。非常に肩身が狭く、居心地がいいものではありません。

 

養育費の調停の際には、「実家へ戻った」ことを「甘え」であるかのように元夫や裁判員から指摘され、「だからもっと養育費の減額を」と言われた場面もありました。一方で、自宅に帰れば私は実母にも、孫まで育てる気はない」と何度も言われてきています。

 

 

日々の生活の世話、保育園の送り迎え、お弁当、保育園の場所取り、小学校の保護者会、PTA、連絡網の対応、塾代、生活費支出、その他すべての支出など、代わりにやってほしいと頼ったことは一度もないです。

 

実家へ毎月生活費を入れ、唯一、やって貰った事と言えば、会社へ勤務していた頃に遅い時間になるときの見守りと、娘が連日休みになってしまうインフルエンザなどの時。会社を休むわけにはいかなかったので、渋々看てもらいました。でも、これがあったからこそ、会社に採用して貰えたのですから大きな事です。

 

保育園時代は朝の送迎時間が早く、会社の出勤と被っていたため、毎日近所の主婦の方に1日1回800円で送り迎えを依頼していました(ファミリーサポートサービス)実母は、リタイアしており、ゴルフへ行ったり、ジムへ行ったりという生活でしたが、彼女には彼女の人生があり、悔いのない生き方をするべきだと思うのでこちらから依頼する気持ちはなかったです。

 

 

会社の仕事を頑張れば、時間が遅くなることで母の機嫌が悪くなり、私の不在時に娘に強く当たるようになったため(私の母は女の子供が嫌いです)会社も辞め、自分で仕事をする方向転換をしました。これだって放置したら虐待へとエスカレートした可能性だってあったと思います。

 

よほど理解のある両親でなければ親の面子をつぶした罪悪感もあって、子は一刻も早く実家を出ていきたいという気持ちを抱くものなのではないかと思います。私の母親がそれを望んでいるのもひしひしと伝わります。

 

娘というものは本来「家」にとって荷物なのだ。

 

と私がはっきり感じた瞬間でもありました。ここにも「血」「家」という問題が絡んできます。娘やその子供というものは私の両親の「家」にとって墓守にもならず、後継者も生まず、何も貢献しないばかりか、「相続」によって「家」を弱体化させる存在です。

 

ですから、「男の子」「女の子」に対する扱いが同じ肉親であっても変わってくるのだと思います。我が家も既に弟が両親の家を相続することが言い渡されています。私が第一子である為、その判断は正直、明らかな「愛情の差」だと思ってとても受け入れることが厳しいものでしたが、現在はそれも私の心の中では8割がた消化しています。(こちらはまた別の機会に)

 

それでも、やはり、実家に帰ったという選択は私の中では他の選択肢に比べ、きっと子の情操を守ることができた最善の選択だったと感じています。

 

 

離婚してもそこを守れたということがあるので、本来実家に世話になっていることへは感謝しか基本的にはなく、精神的消耗も恩知らずで語るべきではないと思いますが、今回はあまり知られることがない現実の温度感を知ってもらいたくて書きました。親が相手だと思うから期待と失望が大きくなるのであって、私の中ではそこを他人と同列にしたら楽になった印象です。他人に比べたら、子供にも私にも親切です。

 

 

船戸優里被告も船戸結愛ちゃんを連れて一度、最初の離婚後に実家へ戻っています。もう一度ようやく再婚して、実家を出て新しいスタートを切ったばかり・・・。でもやっぱりまたダメでした、と実家に戻ることはとてもとてもできないと思ったのだろうと思います。

 

私も10代で妊娠した時、私は両親には報告も相談もすることなく中絶をしました。親に余計な負担や迷惑をかけたくなかったこと、そして親に言わなくても自力解決ができたからです。でも本当は母に相談して、一緒に傍にいて欲しかった、それが本音だったと思います。

 

そんな私でも離婚後に実家に帰ることになったのは、自力解決が不可能だという判断と、1度目だからであって、私ももし再婚していたとして、それもまた破綻した状況を想像した時、実家に戻るという選択肢はその時無いと判断すると思いました。

 

 

親の力を借りておきながら、私自身、こんなことを言う立場には本来ない、恩知らずだと思いますが、昭和の時代、子供たちは多くが「人に迷惑をかけるな」と言われ続けて育ちました。確かにそれは真っ当で「正しい考え方」なのだと思います。

 

しかし、一見普通の家庭でありながら、本当に最悪の最終局面において、助けを求めることができない親に育てられた子供というのは現代多く存在し、その子供たちが今、さらに子供たちを抱え、親の世代となって、最悪の事態に子を道連れにするしかない状況となっている気がしてなりません。

 

 

実家の両親よりも児童相談所へ預けることの方が現実的なのです。それは、保育園の不足に関しても言えることです。娘も親に見てもらうよりも、保育園に預けたいのです。それは自分の親に預け続けるということ自体がたとえ可能で金銭的負担が減るという側面があったとしても、子にとってはそれ以上に精神的に苦痛だからです。

 

今、子供に対する虐待事件などが相次ぎ、おそらく子供を抱えた「親世代」の感覚がどうもおかしい、という視点が多いと思うのですが、私の感覚で言うと、壊れているのはもう一つ上の親子の層である気がします。

 

いつも子供は親の想いを背負って生きていきます。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(4)「結愛にハグできない」離婚を具体的に考えていたが、実家へは帰れない

 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(5)<弁護人側>

 

船戸雄大被告は「太った女は醜い」という発言を日頃からしており、船戸結愛ちゃんへの食事制限以前から船戸優里被告に対しても食事量をあまり摂らないように誘導するような圧力があったようです。船戸雄大被告の前では船戸優里被告もキャベツしか食べず、殆ど食事をしていなかったようです。

 


画像:https://endia.net/funato-yuri-facebook

 

優里被告「私がコンビニ弁当1つ食べきったときに『女なのにあり得ない』と言われ、すごく恥ずかしい気持ちになりました」
引用元:産経新聞

 

船戸優里被告はそうして精神的にも追い詰められ、医師の勧めで摂食障害等の相談で香川県の精神科も受診していました。そこで医師から飲んでいる下剤の量について「たいしたことないね」と言われたことが、船戸雄大被告から常に浴びせられてきていた「努力が足りない」という言葉と一致してしまう理解をし、自分はダメな人間なのだと改めて自身に対して失望するという経験をしています。

 

優里被告「努力しない人間が精神科に行くのは難しいと思いました」
引用元:産経新聞

 

驚くべきことは、船戸優里被告が2016年11月に男児を出産する以前から船戸雄大被告は船戸優里被告の食事に対してこうした「食べさせないように」仕向ける言動をとっていた事です。

 

上京前に船戸優里被告が実家に帰っていた時の話が出てきます。

 

弁護人「上京前のことを聞きます。実家に帰っていましたね。結愛さんが児相に保護されたことなどは言えなかったのですか

優里被告「言えませんでした。雄大が私の父と母のことをすごくばかにしていて『私の父と母が育てたから、私みたいなばかな娘ができたんだ』『いつまで親のすねをかじっているんだ』とか言われていたので、親には相談できなくなりました

弁護人「実家の生活はどうでしたか」
優里被告「すごく楽しかったです」

弁護人「食事制限は」
優里被告「していません」

引用元:産経新聞

 

上京する前の船戸雄大被告はとても機嫌がよく、友達と遊んだり、家を探したりととても精神状態がいい状況だったようです。きっと現状よりも報酬のいい仕事のあっせんなどがあったのかなと想像します。

 

弁護人「あなたも東京での生活に夢を持っていたのですか」
優里被告「雄大がストレスなく過ごせる環境が、結愛が安全に過ごせる場所だったので。東京に行く前は雄大の機嫌が良くなっていたので東京に行くしかないのかなと思っていました」

引用元:産経新聞

 

家族で平和に暮らしていきたいという事だけが船戸優里被告の望むことだったということが分かります。実家に居続けるという選択がなぜ取れなかったのか、既に香川で暮らしていた時点で結愛ちゃんも船戸雄大被告から暴力を振るわれていたにもかかわらず、共に上京したのはなぜなのか・・・。

 

 

本当に理解に苦しみますが、そこにたった一つの理想的な「希望」があったからなのかもしれません。

 

 

◆上京後に開始した船戸雄大被告の結愛ちゃんに対する食事制限と暴力

 

けれども、描いた期待とは裏腹に、上京した翌日には、船戸雄大被告は実家に帰っていた船戸優里被告を責める意味もあったのか『俺がいない間に結愛が少し太っちゃっている』戸優里被告に言い出したそうです。

 

 

優里被告「『だれている』とか『間が抜けている』とか。『俺の努力が水の泡になった。もう一度締め直す』『15・5キロになったら白ご飯を食わしてやる』と言っていました」
引用元:産経新聞

 

結愛ちゃんのご飯は戸優里被告があげることを許されず、船戸雄大被告が全て管理していたそうです。また、上京した翌月上旬には結愛ちゃんは船戸雄大被告から2度顔面を叩かれたと戸優里被告は証言しています。

 

《雄大被告は痛ましい結愛ちゃんの顔を見て、こう言い放ったという》

優里被告「『ボクサーみたいだ』と」

引用元:産経新聞

 

戸優里被告は「パチン」という表現をしていますが、その表現が想像させる叩き方と、船戸雄大被告の「ボクサーみたいだ」という結果の言葉が連想させる状態には大きな乖離があると思います。船戸結愛ちゃんはとても強い衝撃の暴力を船戸雄大被告から振るわれていたのだと思います。

 

 

その光景で戸優里被告は香川県で結愛ちゃんが暴行された時と同様にあまりのショックの大きさに何かが壊れてしまった事を実感しています。

 

私の心のど真ん中にある…心を覆っているものが、バリバリバリとひびが入って、おなかにドスンと落ちて…。音も聞こえなくて、目の前の動いている人がスローモーションになって…。感情はないけれど、そういう現象が私の中に起こりました

引用元:産経新聞

 

その後、戸優里被告は2018年(平成30年)の2月の上旬に船戸雄大被告へ離婚を切り出しています。しかし、それもはぐらかされ、前後の証言から考えると2月に関してはずっと船戸結愛ちゃんは目立つところに「あざ」がある状態だったようです。

 

その為、虐待の発覚を恐れた母親・戸優里被告も船戸結愛ちゃんを外部との接触を遮断させるような生活をさせていたようです。

 

 

私が最後まで理解できなかったのは戸優里被告のこのくだりです。

 

優里被告「児相の人に結愛のあざがばれて雄大が逮捕されるのが、一番の結愛と私の恐怖でした
引用元:産経新聞

 

なぜ船戸雄大被告が逮捕されることが一番の恐怖なのか。

 

私だったら、この状況下であれば、むしろ逮捕されてしまった方がいいと思う気がします。ここの戸優里被告の思考回路が、結局のところ船戸結愛ちゃんの最後の命綱を掴めなかった要因にもなってしまっています。

 

 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(6)<弁護人側>

 

船戸結愛ちゃんは次第に「ご飯を食べたくない」と訴えるようになり、死亡する数日前にあたる2月27日になると、嘔吐を繰り返すようになったそうです。

 

 

嘔吐したものが髪の毛についたので戸優里被告が洗い流すために船戸結愛ちゃんを裸にしてお風呂へ入れようとすると、そこにあったのは激やせしていた船戸結愛ちゃんの痛々しい体だったようです。

あまりにも酷い状況に体を見ることもできなかったと戸優里被告は公判で語っています。

 

弁護人「日に日に結愛さんの体重が落ちていますが、それでも心配にならなかったんですか」
優里被告「それを見ても、全体的にこの体重は危ない、というのじゃなくて、前日から100グラム減ったとか、200グラム減ったとかそういうことしか頭になかったです」

弁護人「100グラム減った、200グラム減ったのは、あなたに何の意味があるんですか」
優里被告「100グラムでも減ったら結愛がお菓子とかを食べられるから。それで…。結愛を喜ばせたいと思ってしまいました

引用元:産経新聞

 

戸優里被告は船戸結愛ちゃんを病院へ連れていきたくても、そんなことをしたら船戸雄大被告から怒られるどころでは済まないと考え、連れていくことができる心理状態ではなかったようです。一方で船戸雄大被告との間の息子については船戸雄大被告自身も大事に扱っていたようです。

 

優里被告「とても大事に扱わないと雄大の機嫌が悪くなることの一つでした。かすり傷一つあると病院に連れて行かないと雄大に責められる」
引用元:産経新聞

 

ここに本当に残酷なひとつの現実があります。自分と血が繋がっている息子に対してはで船戸雄大被告はきちんとした人間性を維持し、その保護に努めようとする判断ができる人間だったという事です。

 

 

本当に本当に、残酷な事です。船戸結愛ちゃんにとってももちろんですが、戸優里被告にとっても、こんな残酷な現実があっていいのかと思ってしまいます。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(6)体重激減していく結愛ちゃんを母親として心配しなかったのか?
 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(7)<検察側>

 

公判は検察側からの質問へ移りました。船戸一家の食事についての詳細が分かってきます。東京に来てからは家族は一緒に食事をすることはなく、各人がバラバラにとっていたようです。

 


画像:https://perspective.wp-x.jp/archives/8449

 

優里被告「みんなバラバラでした。雄大の前では私も食事をすることはできないので、自転車で近くの店に行き、パンなどを買って公園で食べていました」

検察官「雄大被告はどうしていましたか」
優里被告「レトルト食品のようなものを食べていました。東京に引っ越してきたとき『俺の飯はもう作らなくていい』と言われました

検察官「では、結愛ちゃんはどうでしたか」
優里被告「雄大から『俺がスーパーで結愛のために買っておく。それだけを食べさせてくれ』と指示されていました

引用元:産経新聞

 

ここから推測されることは、おそらく「自分の食事をつくらなくていい」という船戸雄大被告は同時に「だから、今まで渡していた食費も渡さない」という事だったのではないかということです。

 

そうなると、戸優里被告が与えられていた金銭はこれまで以上に減額され、公園などでパンなどは購入できたとは言え、生活に関わるものもなかなか買える状況ではなかったのではないかと思われます。まさに済的な力で言動や活動までを支配をしている状況と言えます。

 

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◆女性が社会で金銭を得られないということは、人間としての尊厳を支配されるリスクを負うということ

 

主婦をしていた頃、私も「お前が俺と同じ給料を稼いで働けるのであれば、好きに働いていいし、俺だっていつだって専業主婦になって子供と一日遊んで昼寝していたいよ!」とよく元夫に言われていました。

 

産後、夜泣きが酷かった娘をかかえて、私は1年半の間、慢性的な睡眠不足の状況で、その為と思われる精神的不安と希死念慮にとらわれ続けていました。また、心身ともに疲れ切ってしまい、ふさぎがちで自宅から出て外での交流を持つエネルギーもありませんでした。

 

その為、いつもなら流せるはずの元夫の一言一言や振る舞いが、次第に積み重なって心をえぐっていく状態が続きました。

 

専業主婦や育児に休みはなく、永遠と仕事があるわけですが、社会からお金を持ってこられないということは家庭内ではとても弱いことです。

 

お金を稼いでいない
=仕事ではない?

 

金銭を実際に家庭へ持ってくる人間は、有能で偉いのです。たとえ乳児を抱えていたとしても、金銭を持ってこられない人間は、能力のない惨めな人間であり、そうした能力のない人間は能力のある人間の指示に従うべきだ、というのが彼らの主な思考回路だと思います。

 

もちろん、主婦や育児をしていれば、それが最も過酷な種類の労働で、「報われない」ことが多い仕事だということが分かりますし、いかに尊い仕事か、ということも同時に理解できるはずです。

 

しかし、
幼少期から母親に身の回りの世話をしてもらい
与え続けられている、

特に「男の子」はそれが分からない事が多い。
父親の姿がそもそもそうだからです。

 

念のため、言っておきたいのは私は男女を対立させる気持ちも「女性の権利」を主張する気もありません。ただ、これは単に顕著なひとつの事実としてあり、背景に「男の子」を大事に育てる母親の存在、父親であるに何でも尽くす母親、そこに対する妻としての理想像の存在もある気がしています。

 

話を戻すと、元夫は一般的な男性よりも額面上の稼ぎはありましたが、その殆どを仕事の部下との飲み代に使ってきてしまい、家庭へ入れるお金は収入の約10分の1でした。

 

私たち母子はギリギリの生活を強いられ、10円100円単位で食材を買うにも気を配ってましたが、彼は新しいスーツや靴を次々に買ってきて毎週、座るだけで数万円の飲み屋へ行く生活をしていました。すべては稼ぐために必要だという出費でした。

 

だったら乳飲み子背負って会社へ行って、同じ額面金額を稼いで全額家庭へ納付しろ、と私などは気が強い方なので、当初思っていましたが、それでも、精神的に追い込まれていった結婚生活の最後の方は、自分が無力で無能な惨めな人間だと自分自身でも思い込んでいたと思います。

 

1回2回ではさほど大きな衝撃のない言葉でも、繰り返し繰り返し「お前はダメな人間」だと言われ続けることは人間の根幹から生命力や前向きな思考、幸せを感じ取るためのエネルギーをどんどん奪っていくDVだと現在の私は思っています。でも、当初それを自分でDVだと認識していたかというと、戸優里被告と同様に「自分がダメだから」だとしか考えていませんでした。

 

読む人によってはこれは人格に問題がある人を結婚相手に選んだのだと考えるかもしれないですが、普通に恋愛して、惹かれ合って結婚した男女が、結婚して子供を持って「家庭」を共有した時に起こった、どこにでもある事象だと私は認識しています。当時、お互いに若かったからということもあるかもしれません。でも言えることは「特別」だったわけではないという事です。

 

男女関係なく、経済的自立を目指さない、手放すという事は、自分の自尊心を手放すことにつながるのです。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(7)家族バラバラの食事と食事の内容、家庭内の力関係とと支配
 

 

◆『目黒女児虐待死』母親・船戸優里被告への被告人質問傍聴内容(8)<検察側>

 

船戸雄大被告は結愛ちゃんに対し、5歳児では達成困難な課題や約束事を膨大に課していたそうです。その中で分かっている課題は以下でした。

 

 

・四時ころに起床して、なるべく早く目覚ましのベルを消す
・毎日の体重の記録をつける
・掛け算の九九
・時計の読み方の練習
・ハードな運動
・反省文

 

これらを戸優里被告が結愛ちゃんの部屋に張り紙で貼り、一緒に「ゆあはいっしょうけんめいやるぞ」「うそはつかない」という張り紙も貼られていたそうです。

 

検察官「結愛ちゃん(の体)には170個以上の傷がありましたが、これらの傷は雄大被告がつけたものですか」
引用元:産経新聞

 

この中には結愛ちゃんの足の裏につけられたものすごい数の跡もあったようです。

タバコを押し付けられた跡ではないかと警察は言っていたようです。また、頭部にも皮下出血があったそうです。新旧混在する多数の皮下出血が見られたことから、日々結愛ちゃんが暴力を受け続けてきた生活だったことが分かったようです。

 

『目黒女児虐待死』母親への被告人質問詳報(外部リンク/産経新聞社)

(8完)結愛ちゃんの体におびただしい数の新旧混在する皮下出血

 

 

◆2019年9月17日『目黒女児虐待死』結愛ちゃん母親・船戸優里被告 東京地裁判決公判

 

2019年9月17日、船戸結愛ちゃんの虐待死事件に関して「保護責任者遺棄致死罪」に問われていた母親・船戸優里被告の裁判員裁判の判決公判が東京地裁にて行われました。
 
 

画像:https://times.abema.tv/posts/7019960
 
 
虐待において、家庭内での支配力をもっていた元夫の船戸雄大被告からの心理的影響として、船戸雄大被告の指示に逆らえば船戸結愛ちゃんに対する虐待がひどくなると思い、「雄大被告の意向に従ってしまった面が否定できない」としたものの、心理的DVによって「強固な心理的支配下にあったとは言えない」とされました。
 
 
 
裁判長「主文、被告人を懲役8年に処する。未決勾留日数中300日をその刑に参入する」

引用元:産経新聞

 
 
主に量刑理由においては3点が挙げられました。
 
虐待の苛烈(かれつ)さ、②不保護、③結愛ちゃんの受けた身体的、精神的苦痛です。
 
 
 

◆母親・船戸優里被告の判決 量刑理由①結愛ちゃんへの虐待の苛烈(かれつ)さ

 
「被告人らによる食事制限は明らかに不相当で苛烈なものであった」とされました。
 
 
 
裁判長「わずか1カ月あまりの間に体重の約25%が失われたことになる上、解剖時の所見や現場に駆けつけた消防隊員の証言からも、被害児童がほおがこけ、骨が著しく浮き出ると言った異常なやせ方をしていたことが認められるのであるから、被告人らによる食事制限は明らかに不相当で苛烈なものであったといえる」

引用元:産経新聞
 
文字だけを見る限りでも非常に残忍な虐待が継続して船戸結愛ちゃんに対し行われていたことを感じさせる内容です。
 
 

◆母親・船戸優里被告の判決 量刑理由②結愛ちゃんに対する「不保護」

 
 
「不保護の態様は悪質で、その意思決定も強い非難に値する」とされました。
 
引用元:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d7a9d74e4b01c1970c43b46
 
結愛ちゃんが重篤な状態と認識しながら「雄大被告の暴行や自身が適切な対応をしなかった事実が発覚することを恐れ、医療措置を受けさせなかった」と認定。

(中略)

裁判長「さらに、上京後は2回のごみ捨て以外、被害児童を外出させることもなかったのであるから、被害児童の生存の維持はひとえに被告人らに委ねられている状況にあった

引用元:産経新聞

 
 
船戸結愛ちゃんを救えるところにいた唯一の存在が母親である船戸優里被告であったことを明言しました。

 

◆母親・船戸優里被告 量刑理由③結愛ちゃんの受けた身体的、精神的苦痛

 
 
「被害児童の受けた虐待の態様などから、その心情が十分に推し量れる」とされました。
 
 

裁判長「大好きだった実母である被告人からも苛烈な食事制限を受けた上、やせ細り、嘔吐し、体が食事を受け付けなくなり、意識も薄れ重篤な状態になってもなお医療措置を受けさせてもらえないまま死亡するに至り被害児童の感じたであろう苦しみ、悲しみ、絶望感は察するに余りある
 

引用元:産経新聞

 
船戸優里被告にとって、とても大きな言葉になったと思います。船戸結愛ちゃんが実の母親である船戸優里被告から保護を見放されたことに対するを絶望感を明言しています。
 
 
最後に裁判長はこのように言葉を添えていました。
 

《「その場所でいいから聞いてください」。裁判長がそう語りかけると、優里被告は小さくうなずいた》

裁判長「結愛ちゃんは戻ってきません。裁判が終わってもしっかりと考えて、人生をやりなおしてください
優里被告「はい…」

引用元:産経新聞

 
19歳で結婚をしていなかったら、21歳で出産をしていなかったら、離婚をしていなかったら、養育費が充実していたら、再婚をしていなかったら、実家に戻れたら、母子で保護されていたら、病院へ連れて行っていたら・・・と船戸優里被告の一連の話を見ていくと、いくつものタイミングでこの船戸結愛ちゃんの最悪の結末を回避する方法があったように見えます。
 
 
 
 
結愛ちゃんの命を救えたのは、
母親だけでした。
 
●実母(元妻):船戸優里被告=公判時27歳 
【罪状】保護責任者遺棄致死罪

<9/9 裁判員裁判の論告求刑公判>東京地裁(守下実裁判長)
検察側:懲役11年を求刑
弁護側:懲役5年が相当と主張

<9/17 裁判員裁判 判決公判>
判決:懲役8年の判決(弁護側判決を不服として控訴

 

9月17日の判決に控訴した船戸優里被告に一体どのような想いがあるだろうか、と私は考えていたのですが、文春オンラインの記事にそれは出ていました。

 


画像:iza

 

優里被告は公判で「結愛の心も体もボロボロにしてしまって死なせてしまったことへの罰はしっかり受けたい」と述べ、重い刑に服する意思を示している。

控訴したのは被告の思いというよりは、15日に迎える雄大被告の判決が優里被告の量刑に照らし不当に軽く済まされた場合に備えるという弁護人の法の専門家としての判断の色彩が強い。
引用元:文春オンライン

 

船戸優里被告は事件後、殆どきちんと自身の話を言葉にはできない状況だったようです。記憶も確かでない場面があったり、船戸結愛ちゃん同様に食事の制限もあったため、色々な機能が停止している状況にあった可能性があります。

 

 

精神科医・臨床心理士の白川美也子医師は10年以上前からDVと児童虐待には強い関連性があることが明白なのに見逃され続けていることに対して警鐘を鳴らしてきた1人だということで、船戸優里被告とも東京拘置所で面会を重ね、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」「解離性障害」の2つの疾患にかかっていると診断しています。

 

しかし、船戸優里被告が現在語っていることをみると、そんなことはもう正直どうでもいいようでした。

 

掲載に同意を得るために面会した際、優里被告は私に「診断名にまだ納得していないんです」と意外な言葉を述べ、こう続けた。

私は娘を守ることができませんでした。私は無知で世間知らずで、母親としての知識も覚悟も足りなかった。そんな私が病名だけを切り取って報じられ、DV被害者として擁護されたいとは思わない

引用元:文春オンライン

 

船戸優里被告は母親としての判断能力を取り戻してきているようでした。

 

10月3日の船戸雄大被告の公判に証人として出廷した際にも、「もう結愛と息子には近づかないでほしい」と元夫である船戸雄大被告に言い放ったという事です。

 


画像:FNN PRIME

 

結愛ちゃんを失ってしまった船戸優里被告ですが、まだ残された息子のたった一人のお母さんという役目がこの人生においては残っています。そして、その為にまた、こんなに深い地獄の底から立ち上がろうとしているのだと私には思えました。

 

船戸優里被告が刑期を終え、出所した頃には、彼女が息子の実父から「人間関係を持つことなく養育費がきちんと受け取れる」状況「子供をきちんと守ることができる金額を母子が受け取れること」がこの国できちんと整備されていて欲しいと思います。

 

 

◆2019年10月15日 『目黒女児虐待死事件』父親(養父・継父)船戸雄大被告の公判と東京地裁判決

 

同じ事件で、2019年10月には被害女児・船戸結愛ちゃんの継父で養父の船戸雄大被告の公判と判決も行われました。
 

画像:iza
 
普通にその辺りに居そうな外観にも、恐怖を覚えました。
 
●養父:船戸雄大被告=公判時34歳 
【罪状】保護責任者遺棄致死、大麻取締法違反(所持)

<10/7 裁判員裁判 論告求刑公判>東京地裁(守下実裁判長)
検察側:懲役18年を求刑
弁護側:懲役9年が相当と主張

<10/15 裁判員裁判 判決>東京地裁(守下実裁判長)
判決:懲役13年(控訴なし確定)

 
船戸雄大被告の公判内容はこちらです。前述の通り、船戸雄大被告の言葉には「父親」としてきちんと責務を果たそうとしていたというニュアンスが多く出てきます。
 
 
『目黒女児虐待死』父親への被告人質問詳報(外部リンク/IZA)

10/4 目黒女児虐待死事件<公判>父親被告人質問詳報(1)~(8完)

 

判決では船戸雄大被告に対し、懲役13年が言い渡され、船戸雄大被告が船戸結愛ちゃんへ行った凄惨で残忍な虐待行為に対する量刑の違和感がとても目立ちました。

 
 

◆父親(養父・継父)船戸雄大被告の判決「懲役13年」が船戸結愛ちゃんへの凄惨な虐待行為に対し、あまりに軽すぎるtwitter画像

 
 
15日の東京地裁判決後には、『目黒女児虐待致死事件』船戸雄大被告に対する裁判員裁判に携わった裁判員と補充裁判員が東京都内で記者会見に応じました。
 
 
 
 
 
地裁は検察側の求刑懲役18年に対し、「同種事案の量刑傾向の中で最も重い部類のものを超えた量刑にするだけの根拠は見いだせない」として、雄大被告に懲役13年を言い渡した。

引用元:iza

 
 
今回の裁判員の多くは懲役13年という量刑に対し、とても違和感を抱いていた方が多かったようでしたが、過去の同種事案の量刑傾向を考慮しなければならないという審理に対する苦悩や葛藤(かっとう)があったようでした。
 
 
 
 

それでも判決は求刑の「8掛け」といわれる量刑相場も下回った。保護責任者遺棄致死罪の上限は懲役20年だが、10年を超える判決は珍しく最も重くて12~13年という。検察側は「比類なく悪質」と殺人罪並みの刑を求めた。判決は「最も重い部類」と認定したが、「それを超えた量刑とすべき根拠は見いだせない」との判断だった。
引用元:サンスポ

 

 

公判でも、船戸雄大被告は以前用意していた児童相談所や検察、警察用の問答集のようなものを頭に描いて対応していたのでしょうか。そこまで守りたい「自分」は一体どれほどの価値ある存在なのでしょうか。

 

 

◆『目黒女児虐待致死事件』被害者 船戸結愛ちゃんのメモをもう一度読む。

 

警視庁捜査1課課長はノートの文章を公表した理由として、「結愛ちゃんの言葉を埋もれさせてはいけないと思った」と語っています。

 

ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいします
ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうまでぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことを なおします
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったい やらないからね
ぜったい やくそくします

引用元:https://www.sankei.com/photo/story/news/180606/sty1806060010-n1.html

 


画像:文春

 

ノートには人間の形をした絵も描かれていたそうです。足は棒ように細く、一本の線で描かれていたそうです。

お父さん、お母さんに好かれて、もっと褒められるように、もっと良い子になって愛されるように、がんばって細い足になりたいというのが結愛ちゃん5歳の希望だったのかもしれません。

 

 

それではまた、お会いしましょう

中野カンナ

 

 

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