内側の声を聴いて幸福力を上げる!自分を愛する方法と具体例

◆クヨクヨ

今回は、クヨクヨ・メソメソに対する価値観を一旦整理して見直してみよう!の最終回となります。

 

【この記事を読むと分かること】

①クヨクヨ・メソメソを通して心の内側の自分、あるいは神聖な存在からの声を受け取る意識が出来るようになる。

感受性が強いことが苦しみを増やしている?についての一定の着地点。

自分を愛する方法(具体例と私の経験談)について

幸福力は不毛な悪意から身を守るための強力なバリアだということ。

クヨクヨ・メソメソを大事にし、向き合うことの価値がわかる。

 

➡クヨクヨ・メソメソが心の内側の自分や、空の神聖な存在とつながっているポイントだと分かり、大事に向き合うことで後悔のない「自分の幸福」を導き出すことが出来る

 

…はずです(笑)宜しければ、ここまでの1.2話を踏まえ、最終話をお楽しみいただければと思います。

 

さっそく行ってみましょう!

■ステップ3:クヨクヨする・メソメソする自分、神聖な空の声と対話をして、「声」の意図を分解していく。

どんなに地下深くに埋めても、紙に書いて燃やして煙にしても、壺に入れて蓋をしても、きちんと向き合う事をスキップしたクヨクヨ感情は、自身の真の幸福との関係が強ければ強いほど、いつまでもいつまでも膿やしこりとなって残ります。

 

 

どんなに無視して見ないようにして、あたかも「ポジティブ」っぽく振舞い続けていても、しつこくしつこく自分の内側では残り続けるのです。そのうち異臭も放つようになります。

 

それはなぜか??

 

これは私の理解ですが、「内側の自分」「神聖な何者か」「たのむから、幸せになってくれ!!」と大声で叫び続けているからです。

 

 

この「神聖な何者か」がダレなのか?については色々な考え方があると思うので受け入れ安い形で考えて貰えればいいことだと思うのですけれども、参考までに私の場合を記載してみます。

●天空の神様的存在

私の魂のルーツ中の最高位の存在

心の中の自分の神様
(特定の宗教の神様ではなくて、幼少期から自分の善行を見守るような存在)

氏神様
(小さい頃からお参りと正月のお祓いをしてきたため)

亡くなった先祖
(主に父方の祖父母)

カキコの中では神様と仏様も神聖な存在としてあまり違いがありません。

 

回を重ねるごとに、
スピってきてるんですけど…(笑)

 

てってれー!

 

占星学を判断基準のひとつに取り入れた理由はこちらに記載しています。(ページの末尾に記載)
↓↓

■管理人・岩カキコについて~クヨって再起の経歴概要
岩カキコの自己紹介と、これまでの人生の転倒歴の概要です。

 

 

■感受性が高すぎることが苦しみを増やしている?

さて、感受性が目覚ましく発達している方の中にはこんなことを考えたことが1度や2度はあるのではないでしょうか。

 

感受性が高すぎることが自分を不幸にしている。

 

私・カキコは幼少期から自分で言うのもなんですが、感受性だけがとてつもなく無駄に発達した子供でした。それは私の原始的感性を育んだ幼少期に「ひとりっ子」であったことが大きく影響していると思われます。

 

 

私が生まれた昭和の東京では、まだ「ひとりっ子」というものがマイノリティであった時代で、近所も同級生も親戚もみんな兄弟姉妹がいた時代でした。

 

また、両親は共働きの商売人であった上に、私は結婚翌年に生まれたので、両親はまだまだ新婚であり経済的にも不安定な時期で、子供の私は色々な意味で足手まといでした。

 

 

そのため、私は基本的にひとりで遊ぶか、誰かと遊んでもらうかの2択であり、幼少期だけは明るく外交的な感じの基礎的性質を持った子どもではあったものの、かなり幼少期から「孤独感」に対しては人知れず大きな葛藤を抱えて成長していました。(今思えばw)

 

本当は誰かと遊ぶ方が楽しいと知っている、だけど誰かと遊ぶと必ず「ひとりっ子」であることで仲間外れにされたり、数の勝負でかなわないことで小さな意地悪を繰り返しされる。そこには自分を守ってくれる存在など誰もいない。

逆に、とっても楽しい日が訪れても、日が暮れれば「サヨナラ」をして、私だけひとりに戻らなければならない。家へ帰ったら、まだまだ新婚の両親にとって、私は事あるごとに邪魔で、大人である二人の仲間には決して入れて貰えない。

 

生まれて最初の幼少期の世界で、そんな疎外感が大きく立ちはだかっていたことは未だにその影響を強く残していたりもするのですけれども、

 

私はいつしかひとり遊びの天才になっていました。何もない時代のひとり遊びには、感受性と想像力が欠かせません。従って、感受性想像力、そして忍耐力負けん気の強さだけがずば抜けて育まれていきました。

 

 

思春期を越え20代までの時間は、女性とホルモンの関係や星のエネルギーについても無知だったために、その育ちすぎた「感受性」によって、頻繁に大きな感情的悲壮感に苛まれ、無防備で脆弱な心はいつも感受性がキャッチした大きな悲劇によってKOされる状況が続きました。

 

コテンパンでしたw

 

当時、自分でも自分の体内や脳内でいったい何が起こっているのか理解が出来ていなかったこともあって、感受性が受け取る数々の悲劇について、今考えれば緩和できたであろう部分についてもコントロールするスキルがなく、とにかく感性がバグってメチャクチャだったという事を記憶しています。

 

丸腰で闘っていた印象w

 

そのとにかくメチャクチャな状況をたくさん経験し、多くのものを破壊し失ってきたことで、私は単に実戦で数を重ねて、この問題をおおよそクリアするに至りました。

 

でも、本音を言うと、
正直遅すぎた。

 

 

その時までには、統計が取れるほどの過去のデータ量と、それに付随する失敗、大切なものを失うという後悔しかない(笑)経験がありました。それに歳もとりました。

 

そして、私の場合は最終段階になって、ようやく「女性の体」「セロトニン」「脳内物質」などに関する色々な体系的知識を得ることになり、単に「感受性」の問題だけではない「神様のしかけ」にようやく気付くこととなったのです。

 

このテーマもとても大事なので、いずれポイントをまとめてお伝えしたいとは思っています。

 

苦しみの大きさを計ることはできませんけれど、自分の内部だけの体感データで言えば、苦しみの大きさと感受性はやっぱり関係していて、というのは、自分の内部の感受性だけに限ってみても、時期によってその精度が異なるからです。

 

「1」という大きさの衝撃を「1」ととらえる時もあれば「3」ととらえる時もあれば、「10」ととらえる時期もあるという事です。そこには抗う事の出来ないエネルギーが係わっています。

 

分かりやすいのは女性ホルモンで、感受性の精度は他にも要因はあるのでしょうが、女性の場合、少なくとも今、生理周期の中のどこにいるか?に影響を受けていると思われます。

 

具体的に言うと、月経開始前10日から1週間以内(特に月経開始の前日、前々日)の感受性の精度はヤバイ。

 

レベチ!(笑)

 

なので、持って生まれた基礎的な感受性レベルだけでなく、そうした時期的要因が加算されて、カオスな悲劇をキャッチする傾向にあるのだろうと思われます。

 

じゃあやっぱり、感受性が強いのって不幸なの?というと、私自身は時間をかけて、そうではないと思うようになりました。これは自分の幸せがどこにあるのか?にもよるのだとは思います。

 

今回のテーマの第1回目の時にチラッとお話しましたが、私は美術大学で制作活動をしていたために、

「クヨクヨしているとき」の制作物というのは、凄まじく感度の高いみずみずしい生命力のようなものがジワる
↓↓

「いい作品」にできたことで負の感情の肯定➡昇華というミラクル起こる。

 

という体験をしています。

 

 

また、離婚前後に精神的パニックと感受性の混乱状況を迎えた私は、一時、心療内科や精神科のお世話にもなった経緯があったわけですが、そこで出逢った医師の言葉がとても印象的でした。

 

まず、そうした感受性に対して極端に大きな揺さぶりがかかる人は、周期がある程度医師から認められた場合は「双極性障害(旧名称:躁うつ病)」と診断されることもあるそうです。

けれども、芸術家やミュージシャン、アーティストと呼ばれるようなものをつくる人は、みんなその特別な時期の感受性やエネルギーを使って作品をつくっているものなのだと。

 

個人的には、生理には周期があるものだし、その時大きな感情的な揺さぶりは誰にでも起こることだろうし、そんなこと言ったら月経のある女性はみんな双極性障害になっちゃうじゃねーかwとツッコミを入れたい気持ちにもなったのですけれども(笑)

 

それよりも、感受性の高さが生み出すキセキについてのくだりが私の中では印象的でした。ありきたりな考えになりますが、感受性の強さが発揮されるのは悲劇だけではなく、幸福に対しても同じだと私は思っています。また悲劇が作品になることでその価値がひっくり返ることもある。

 

 

幸福に対する感受性が高いことは他の誰かが取りこぼしていく幸福のかけらをキャッチできる能力だと思います。また、人の痛みを感じ取る共振性のようなものもしばしばセットで発動されることで(それのせいで苦しいというのもあるとは思いますが)誰かと繋がり合い、分かち合うことが出来るための力にもなるのではないかと思います。

 

 

星や星座もそうですが、人にはひとりひとり特別な力が配分されています。誰かが持っていて自分にはないものもあるし、逆に自分にはあって他の人は持っていないカードもあるという事です。

 

天から与えられたそうした特別な能力を、排除していくことを考えるよりも、大事に活かしていくことで神様も自分の内側も笑うのではないかと今の私は思っています。これは感受性に限ったことではありません。

 

持っているカードを活かせば、
みんな輝けることを約束されている。

 

■ステップ4:自分を愛するには「自分の声」と「天からの声」を聴けるようにすることが重要

私・カキコは前述のように幼少期の問題や両親との問題があって、自分のことを邪魔者だと認識していたくらいですからどちらかと言わなくても元々セルフイメージが高い人ではありませんでした。

 

邪魔者カキコ

 

それに加えて、思春期以降も感受性に振り回されて大転倒をし、社会人になっても「失われた10年」からのスタートでしたので、いくら経験を重ねて行ってもデフレ不況が悪化していくだけの時代にあり、自分はダメなんじゃないかという思いは増しました。

 

さらに離婚による家庭の解体を体験し、離婚後のシングルマザーとしての人生は、特に序盤は転職とブラック企業の繰り返しによる惨状だったので、「私の人生などどう考えても無意味だから、とっととお迎えに来てもらいたい」と神様に祈るような日々も正直ありました。

 

その頃になって「自己肯定感」なんていう言葉も世間ではじわじわ流行り出し、私は自分の幼少期からの背景を考えた時に、とてもとてもそんな大層なものを自動的に育める人生ではなかったと感じ、

 

「自己肯定感あるある人間(本当にあるのかは不明)の発言で勝手に2度パンチを喰らう、みたいな思いもしました(笑)

 

自己肯定感っていう言葉も、
なんとなく鳥肌が立つくらいキライになりましたねw
そんなの表明することじゃなくて自分の中だけでやっててほしいw

 

どこか「自己肯定感あります!」と表明することがステ-タスみたいな風潮が出来てきています。(多分ポジティブ崇拝の発展形)

 

 

私の幼少期からのセルフイメージが高くなかった理由については、どうしても外部要因のせいのような言い回しになってしまうのですけれども、幼く判断能力が未成熟な子供にとって、環境や背景を越えてセルフイメージを健全に育める力なんて殆どの場合、無いのではないかと思います。

 

こういうケースって、少なくとも私と同じ団塊ジュニア世代には案外多いのではないかと私は思っていて、「自己肯定感がない」→(やっぱり私はダメってことね)→THE ENDという思考停止が起こっている人もたくさんいるのではないかと思います。

 

 

けれども、私が長い時間「自分を愛する」というテーマに向かってきた結果ですが、こんなもんは後からいくらでもひっくり返すことが出来ます。

 

いつからだって
自分を愛することはできる。

 

 

私の中での実感として、その効果を発揮する力が大きかったのは下記の事柄です。

 

①空や神様が「幸せになれ」と自分にエールを送っているという事を信頼する。

②自分は空や神様に嫌われるような決断、判断はしていないという日々の実績を積む。

内側の自分がはしゃいで喜ぶようなことをやる、小さな願いを叶えてあげる。

 

 

■空や神様が「幸せになれ」と自分にエールを送っているという事を信頼し、神聖な存在に嫌われるような決断をしない。

私の場合は商売人の娘であったことから、物心がつく頃には毎年正月には近所の氏神様のところへ家族で初詣に行き、「家内安全・商売繁盛」のお祓いをするというのが慣習としてありました。

 

小さかったので、神様も仏様もイエスキリストもその違いについては知りませんでしたけれども、「神聖な存在」として私の中では同じでした。自分の内側にいる良心を司る心の中の神様外側の神聖な存在が面会をするようなシーンが毎年恒例の「お祓い」でした。

 

定期的な参拝で報告と感謝を届ける習慣は、神聖な存在との関係性を強めていくことにとても有効です。

 

人によってはそれがお寺だったり、教会だったり、仏壇だったり、お墓参りだったり、思い出の場所だったりするのかもしれませんが、自分にとってナチュラルに受け入れられるものを無理のないペースで取り入れて行ったらいいのではないかと思います。

 

 

また、孤独な幼少期の時間にちょっと痛々しい思い出ではありますが、私は(話し相手がいないので)お月様お星さまおひなさまお人形見えない存在に対してガンガン話しかける、という事をしていました(笑)。お雛様には毎年「ひな祭りの歌」をひとりで歌ってプレゼントしていました。

 

それなのに出戻りにするなんてお雛様ヒドイw

↑↑

冗談です(笑)。

 

そういうことが自然に私の幼少期の日常で起こっていたのは、やっぱり孤独感を抱えた「ひとりっ子」だったことと、もうひとつ、

 

おてんばでじゃじゃ馬娘だった私は、かなり小さい頃から殆ど毎晩のように父から叱られており、1日の最後には大きな父の手のひらで頬をバチンと殴られて、床に叩きつけられるという日々が続いていました。(小学校5年生くらいまで)

 

言って分からない子供には叩いて教えるしかない、と父は言っていました。

 

それを私が今も記憶しているってどういう事なんだろうww

 

これについては、ちょっと今思い出しても、小さな私を抱きしめてあげたいくらい胸が痛む記憶でもあるのですけれども、

 

毎晩のように殴られることが、痛くてそれ以上に悲しくて、頬も心も熱くじんじんするのに、父は「泣くな!」というものですから、私はひとりで別の部屋に駆けて行って毎晩しくしく泣きました。

 

そして窓を開けて、お月様に話しかけるのです。

 

「私はいい子のつもりなんだけど、どうしていつも殴られてしまうんですか。私はそんなに悪い子なのですか?私はいい子になりたいと思っているんだけれど。」と尋ねていました。

 

 

幸いお月様はいつも
「あなたがいい子だって、私は知ってるよ。」と返してくれていました。

 

 

ここまで行くと、完全に現実逃避のための妄想の世界だという感じかもしれないですが(笑)、すべて本当の話で、私はそんな風にこっちの世界(現実世界)とあっちの世界(現実を越えた幻想の世界)を行き来して育ち、神聖な存在の声を聴いて生きてきました。(妄想かもしれませんが)

 

 

けれども、妄想かどうかというのは今になってみれば正直どちらでもよくて、そうした私の生き方を見守ってくれている神聖な存在が確かにいるという事を信頼して、その存在の前で恥ずかしくない生き方をするということを繰り返すことで、

 

私は神様に嫌われるようなことは何もしていない。

 

という気持ちがとても強くなりました。そうすると、起こってくる不都合な事象についても単に困った、不運だ、絶望的だ、ではなくて「私を愛してくれている神様は、これらによって何を伝えたいと思っているのだろう?」という思考になります。

 

全ては必要・必然・ベストだと信じる。

 

そして、いつも私の幸福を祈り、エールを与え続けてくれている存在がいると認識するだけで、ランダムに発生する不都合な事象の数々によって自分を無駄に傷つけたり、自分の価値を疑ったりすることは格段に減っていきます。

 

 

よく、お金を貯めるためには収入を上げることよりも、現状の維持経費(支出)を下げる方が確実で簡単で、早い、という話がありますけれども、これも同じような話だなとも思います。振ってくる事象からのダメージ(エネルギーの支出)を下げるために、神聖な存在への信頼はとても有効に働きます。

 

生命力は貯金と似てる。
こんこんと湧き出るまでは
垂れ流さないことが大事。

 

また、そうした崇高な存在から愛されている自分自身はいつしか「愛すべき自分」「愛されるべき自分」と格段に自分の中で昇格していきます。

 

 

■内側の自分がはしゃいで喜ぶようなことをやる、小さな願いを叶えてあげる。

人は合理的な考えを優先すればするほど、案外心の内側にいる自分の声を無視し続けることになりがちです。でも、内側の自分の声を無視し続けていって良い方向に動いていくという事は多分あんまりありません。これもまた、この宇宙のきまりの1つのような気がします。

 

 

そもそも、内側の自分という魂は、考えてみれば自分が最後に息を引き取るその瞬間まで、あらゆる悲しみも絶望も、喜びも一切合切を共有して生き続ける究極の同志です。

 

いちばん最期まで一緒。

 

肉体を持った他者とは色々な理由で別れがやってきますけれども、裏切っても怒らせても生涯離れられない相手が内側の自分という魂です。逆に言えば文句言いながらも、ずっとついてきてくれるし、道連れを覚悟で一緒にいてくれる。

 

 

最期にとうとうその存在とも別れを迎える状況になって、自分の内側が「あなたの内側で居られて幸せだった」と言ってくれなければ、結構、大きな後悔になる気がします。

 

死期を迎えた人の後悔には下記のようなものが多いと言われています。

・もっと色々なところを旅すればよかった。

・失敗を恐れず、チャレンジすればよかった。

・もっと家族に時間を費やし、愛する人にたくさん愛情を伝えておけばよかった。

 

これらの後悔は、本人に「内側の声」という認識が全くなくても、よく見るとその内容の殆どが心の中の自分が望んでいたことだと分かります。

 

 

きっと若い頃から、自分の内側はそれらの願いを求める「声」を、肉体を持っている本人に対して叫び続けていたはずだとも思います。けれども人間というものは目先のお金や名誉やプライド、権威といったアッチの世界では無価値になるガラクタを熱心に獲得することに心を奪われ、

 

内側の「声」は無視するか後回しにして、合理的に合理的に走り続けるのです。それが遠回りになるとも知らずに。そして、本当の最期になってようやく「内側の自分」の小さな願いすら叶えてやれなかったことを悔やむのです。

 

 

それらの願いというものは大概、やろうと思えばいつだって手が届いたいつだって叶えることが出来たことでもあったことから、悔やむ気持ちはより大きくなります。

 

本当の願いは
いつも手が届く場所に落ちている。

 

 

私の離婚後の数年というのは、本当に死の淵をさまようような精神状態が続いていました。前述のように心療内科へ行って、即廃人になるような多くの薬を飲み続けたり、自信を回復しようと必死で新しい専門的な知識を身に付けたりもしました。

 

けれども結局、そんな方法では
全く回復していく実感がなかったという経験をしています。

 

 

ところが、偶然出会ったペアダンスをきっかけに、私はかなり短期間のうちに80%くらいまで内側の自分をメキメキ回復していくことが出来ました。(残りの20%は4.5年間という歳月をかけて、少しずつ回復したり、仕事でまた消耗したりという感じでした。)

 

 

普通に考えて、シングルマザーで会社員の仕事育児をしながら、ペアダンスまで始めるなんて、時間の意味でも体力的な意味でも金銭的にも非常にムダが多くなるように見える、合理的でない話です。

合理的な他者はこう考えます。

ちゃんと仕事ができるように、ちゃんと子供に向き合えるように、時間があるなら仕事や子供に使ったり、あるいは体を休めるために使った方がいいのでは??
 
もっと酷いと、「子供がかわいそう。」ぐらいのことを平気で言われます。
ホントに、こればっかりは「黙れ。車窓の風景!」と心の中で思っていました(笑)
 
 
 

言葉が悪くて申し訳ありません。

 

実際にやってみると分かるのですが(やってみないと分からないものでもあるですが)、この一見正論に見える考えは、ぜんぜん違います(断言)。

 

 

私の場合、自分が心から楽しんで、全てから解放される時間を持ったことで、長年我慢に我慢を続けてきた私の心の内側が久しぶりに「うれしいうれしい」と子供みたいにキャッキャしている声が聴こえるようでした。生命力の根幹部分の回復がここではじめて起こります。

 

←まさにこんな感じです

 

なにも内側の自分が喜ぶ要素がないルーティーンをいくら合理化していったところで、自分の内側は回復しませんし、人生が豊かになることもないのです。

 

一見、時間の無駄のように思えるようなコトの中に、最も大事なことがある。

 

そして何より、自分の内側が喜んでいることを実感できた時、肉体を持っている本人も、大きな幸福感と新しいエネルギーを感じることが出来ます。たとえ以前と殆ど同じ生活をしていても、「嬉しい楽しい」と心から思っている自分や人生がとても愛しいものと思えて来ます。

 

 

よく「ワクワクするもの」を選びましょうとか、こんまりさんのお掃除本でも「ときめくもの」を選びましょう、という話がありますが、なかなか抽象的で男性性や右脳が強い方には理解が難しいことかもしれませんけれども、

 

それはつまりワクワクときめき自分の内側の願いにダイレクトに繋がっていて、反射として本人の人生も豊かなものにしてくれるものなんだよ、そしてそれはこの宇宙のルールなんだよ、と教えてくれていたのだと感じます。

 

 

SPARK JOY!!

 

逆に心がザワザワ、モヤモヤする時、それもまた多分内側の声で、その時はいかに「より爽やかな方の選択肢を選ぶことが出来るか」ということが試されている時です。その選択が後日の豊かさに影響してくるとも私は思っています。

 

これも、ワクワクと同じように内側の自分の気持ちに丁寧に応えてあげる作業でもあるのかなと。

 

ここまで見ると、自分の内側の声にいつも耳を傾け、叶えてやることの重要性が分かってくるのではないかと思います。

 

なんか、カワイイお花を育てたいの。

×あっそ、でも今超絶忙しいから時間が出来たらね!

 

ではなくて、

そんないつだって応えてあげられるような、どうでもいいし直接の利益に繋がらない、無駄にしか思えない願いを叶えてあげると、現実の自分の幸福度も不思議なくらい上がっていき、生命力も同じように上がっていくことになっています。

 

内側の声に応えてあげることは、イコール内側の自分を大事に大切に扱ってあげることでもあります。それが出来るのも肉体を持っている自分しかいません。愛してくれたお礼に、内側の自分は「幸福感」「生命力」という最高に贅沢なエネルギーを注ぎ込んでくれるようになるというわけです。

 

繰り返しになりますが、これは多分、この宇宙のルールです。

 

■ステップ4:自分を愛せない大人は他者を愛することはたぶん不可能

離婚後の私はこうして心の内側との対話を繰り返し、小さな願いを少しづつ叶えてやったことで、生命力や幸福感が一定レベルで回復してきました。

 

・両親や社会の「~あるべき」をガン無視。

・自分の心地よさを何よりも優先する。

 

しばらくして生命力が回復に向かい始めたころ、離婚後初めて、俯瞰して自分の置かれている状況が見えるようになってきました。「おかしい」ことを「おかしい」と思う自分の声を信頼できる力が出て来るようになりました。

 

 

シングルマザーだけではなく、母親は周りから「子供のことをいつも何よりも優先させるべき」という事を強要され続けます。かなり外野からも不意打ちを喰らう位に言われます。

 

そんなこと、
母親が一番わかってる。

 

けれども、母親に生命力なく、幸福力まで枯渇している時、子供に注ぐことが出来る愛情の量も同時に枯渇してしまいます。これは工場と同じで、どんなに想いが強くったって、材料がない時に生産物は出来ないという事です。

 

 

ですから、母親自身が幸福力のタンクをいっぱいにして、自分自身のことも大事にしていることが、めぐりめぐって子供の幸せにも繋がるという構造をしているのです。母親が消耗している時、まず手を付けないといけないのは「母親の幸福度の回復」の方です。

 

社会問題になっている母親のネグレクトや虐待などの事件を見ると、酷い、あんまりだ、と思う一方で、母親の感情がそこまでに至る経緯を、私なんかはつい想像してしまいます。

 

迷惑をかけないようにがんばって、我慢をし続けた真面目な母親の方が、そういうことに陥りやすいのではないかとも思うからです。とても他人事とは思えない気持ちにいつもなっていました。

 

 

■幸福力がつくと、故意の悪意にも耐性ができる

一方で私は内側の自分を可愛がり、大切にしてやることによって、以前よりも外からの「故意の悪意」に対する免疫力が非常に増したと感じる体験をしています。

 

 

幸福力が回復していなかった時の自分は、それこそクヨクヨと自分の発言や振る舞いに問題があったのではないか?自分が無能だからこんなに意地悪なことをされるのではないか?など自分を責めて傷つける方に思考を使っていました。

 

でも、ペアダンスという別の世界を手に入れてからは、自分が所属する小さな会社社会で起こっている問題についても色々な意味で俯瞰して見られるようになりました。会社に対して、この世界だけが私の世界のすべてではないという思いが勇気にもなりました。

 

それに何か失敗をしたとしても、以前までは猛省していた私でしたが、こんな些細な事で誰も死なない、次に気を付ければいいだけ。あんな酷い言い方が出来るのは心が貧しいからだ、と思うようになりました。(←この時は女上司からパワハラを受けていた為)

 

意地悪な人間は自分が不幸だから。
つまり、内側の自分の声を無視して可愛がってあげることを怠っているから。

 

そういう考えが確固たるものとして私の中に出来上がりました。

 

そこから暫くの私はというと、何もその立場を経験してもいないのに自分の正義を振りかざしてくる人(父)や、故意に悪意を投げて来る人(上司)というのは、一瞬の「快」を吸い取って幸福観を得ようとする意味で、「テロリスト」扱いでしたし、基本的にガン無視でした(笑)。

 

…でも、幸福観が一定の充足を果たした時、そこへは「哀れみ」の感情しか湧かなくなったのです。

 

ここでの哀れみは軽蔑ではなくて、慈悲です。背景に幸福感に対する飢えを抱え、人には見えない激痛を想像することが出来るようになりました。それはワンオペで子育てする母親の苦しみにも似ていたからです。

 

 

そこまで行くと、悪意の数々も意外と許せる。もちろんダメージもあんまり受けなくなってくる。

 

幸福力というのは生きる上での最強のバリアだと思いました。「笑うこと」がナチュラルキラー細胞を活性化して免疫力を上げる!なんていうことが科学的にも分かっていますけれども、幸福力のUPも同じような事なのではないかと思っています。

 

 

■最終ステップ:クヨクヨ・メソメソ・モヤモヤに向き合えば、自分の心の中の声が分かり、幸福の道を照らし出してくれる。

最終ステップになりました。ここでは最初の問題だった「クヨクヨ」について改めて見ていきたいと思います。

 

ここまでの話でもう十分お腹いっぱい(笑)だとは思いますけれども、どうでしょう?「クヨクヨ」に対する価値観はどこか変わりましたか?

 

クヨクヨが、幸福へ向かう為のチャンスタイムが来ていることを知らせる信号であり、そこを頼りに心の内側の自分の求めている「声」、あるいは自分の幸福を願い続けてくれている「空の声」に耳を傾けてみるとちょっとハッピーになっちゃうかもよ??

というお話でした。

 

 

クヨクヨ「何か大切な事を知らせようとしている!」となれば、こっちのものです。

 

 

是非、クヨクヨを恐れず、しっかり受け取って、照らし出される自分にとっての幸福の道を導き出してください。

 

困難が大きければ大きいほど、乗り越えた後に手に入れるものも、かけがえのない無二の価値の宝となるはずです。

 

ではまた、お会いしましょう

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