冬苦手という基本体質&しなる強さの幸福力を女性がつける為の提案

◆幸福力について

今回は私自身の寒い冬が苦手という「基本体質」とその延長上にあった「暗黒20代」という話の概要、「しなる強さの幸福力」をつけるための提案としてスタートラインで自分がやってきたことと、そこから得た意識などのお話です。

◆冬が苦手でキライでダメすぎる、という基本体質について

 

こんにちは。中野カンナです。
1年で最も寒い季節がやってきました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

 

突然ですが、「寒さが苦手だったけれど克服して今は大好き」という方というのは、この世の中にいらっしゃるのでしょうか?もしいらっしゃったら是非、その経験談を私に聞かせていただけたら嬉しいです。(最初から依頼で始まる今回w)

 

 

◆中野カンナの寒さに弱いエピソード

元々ほんとうに凄まじく寒さに弱い私は、
気温が15度以下になると
人と会う約束そのものがとてつもないストレスとプレッシャーになります。

 

 

お願いだから、
誰も冬に私を誘わないで。

 

約10年~15年ほど前からは、あまりに苦手すぎて、誘われても誘われても誘われても断り続け、冗談ではなく人間関係を壊しそうな域であったため、私を良く知る仲の良い人間関係の間では、「中野カンナを冬場に誘うのはNG」という認識をあらかじめ持ってもらうしかないという信念(執念?)の元、

 

いかに冬の私が人間としてサイテーで駄目かをとうとうと語り、
そんな私を冬場に外へ呼び出すことの残酷性を主張し続けました(笑)。

 

 

・・・というのは、寒い中準備して出かけるのももちろん嫌なのですが、大好きな人たちの「お誘いを断る」ということ自体が何よりもとてつもなく苦痛だったからです。

 

何故なら、それを繰り返していくと自分がとてもダメな人間で、人としてサイテーに思えてくるのです。

 

そういった葛藤自体も自尊心を傷つける思考回路でしかない為、あんまりコレよくないよなーと思っていました。

 

それってでも、よく考えるとおかしなことで、

自分はベコニアなのに凍てつくシベリアへ召集されるようなもの。とてもじゃないけど生き生きするなんてムリ!な環境へ、しかも生存危機に瀕しながらそれでも行くことって、

ちょっとやっぱ、
おかしいんじゃないか。

という考えもありました。(社会不適合者と言われてもおかしくないのも承知しておりますw)

 

 

ベコニアはシベリアで咲かなくても
花としてサイテーとか言われないよね。

 

普通はそこまで悩むくらいなら「だったら行けばいいじゃないか」という事でしょうが、
これまでもズルズル断れないまま行きたくないイベントの為に悶々とし続けるという、その日程前の2週間の質がとてつもなく悪くなるし、

 

断るよりドタキャンの方が人間的に最悪だという価値観は幸いこんな私でも持っていたので、

 

結局ブツブツ文句垂れながら行くわけで

 

あまりに自身への負荷、それも健全な筋肉を育まない負荷が大きいもんですから、直近少なくとも5年程「行きたくないものは冠婚葬祭以外は極力行かない」という事に私の中で閣議決定されました。

 

 

弟の結婚式は寒くてやだったけど行きました。
↑やっぱり少なくとも冬季は人間性にも問題があるっぽい

 

現在の私は、若い頃のように「あれも欲しいこれも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい」(BLUE HEARTS)なんていう積極的野心や欲望はとっくになく、

 

でもその代わりに欲の方向性として、「したくない事をやりたくない」「会いたくない人に会いたくない」「行きたくないところに行きたくない」というナイナイ欲が格段に増えました。

 

別に自分の人間性を肯定したいわけではなくて、ド直球で言う事ですけれど、これらもまた自分の内側に居る人々の声に耳を傾け、その気持ちに少しづつ応えていった結果です。

 

ボヘたん
ボヘたん

私は穏やかで優しい気持ちでいたいワ。

 

バツイチ子持ちなのに、食いブチない状況で会社を辞めるというあり得ない(?)選択をしたのも結局はその延長線上の判断だったと思っています。

 

バツイチ子持ちで食いブチなしバンジー退職した経緯はコチラ↓

バンジー退職の背景に女上司のパワハラ実例付/会社辞めて1年④
会社を退職する直接の原因に女上司によるパワハラ実例と彼女のPMS、自己肯定感の欠如があったという体験について今回は書きました。バツイチ子持ちの私が2018年に会社を辞めて1年で当時を振り返るシリーズその④です。

 

数年前からは私の人間関係上、
交流が深いメンバーには(人数が限られていることもあって)ほぼ完ぺきにその暗黙の了解を得られたようで、

 

現在では私を真冬開催の忘年会新年会に誘ってくるのは私とそんなに仲が良くない人だけという状況に至りました(笑)。もちろん仲良くても仲良くなくても行きません。

だって、夏でいいじゃないか!

なので、冬は籠っていれば良いだけで、断ることで「私のバカバカ」など自尊心を傷つけられることなく(笑)、生きやすい季節に一応なったとも言えます。

 

 

◆20代でのクリスマスと誕生日の記憶は「ほぼ仕事」

 

思い返してみると、若い頃から
私には冬季に終わった恋愛がめちゃめちゃ多いです。

 

 

クリスマスイブというあんな真冬の寒空の下、外で震えながら立って待つほど心を焦がし、
会いたいと思える男性が居なかったからかもしれません(爆)。

 

どうせ最後は
ホテルに連れ込まれるだけでしょ。
サンゴの満月産卵じゃあるまいし。

 

くらいに正直かなりドライにクリスマスを見ていました。

 

私にとっては、もう
夢を見られる時代ではなかった。

 

男性からすると鼻持ちならない最悪な高飛車女のような発言だろうと思うのですけれども、その当時の私が思っていたことはさらにこういったものでした。

 

そもそも私が寒さに弱いのを知りながら、
待ち合わせの段階で寒空の下で震えて待たせる段取りの悪さを考えた場合、断られるかもしれない相手の為に年間で最高騰しているシティホテルをあらかじめ予約している器量が相手男性にある可能性は限りなく低く、

クリスマスイブだからという誘いにうっかり乗って、のこのこ出かけて行ってしまったばっかりに起こる最悪のシーンとして、「今夜は絶対に逃がさんぜよ」張りに拘束され、ラブホテル街でクリスマスイブに空室のあるホテルを「もう帰ろうよ」とも言いだせないまま永遠探すとか?ラブホ難民となって歩き回されるとか?
あまりに惨状過ぎる!

 

 

当時の私は首をぶんぶん振って、こうした「最悪の状況」を常に想像するようになっていた為、幸いそうした「戦場のメリークリスマス」ならぬ「惨状のクリスマス」経験に関しては、1度も人生に刻まずに済みました(爆)

 


画像:Amazon


だって、
ほとんど仕事してたので。
仕事の方がお金になるし。


そっちの方が、当時の私にとっては有益で、精神的に健全だったという事です。

 

こんな感じで
「冷めた目のゴーマンで残酷な女」だった私の20代(;’∀’)

それはもちろん人生最初の大恋愛で大転倒した後遺症を引きずった時代だったからと言えます。

 

 

男なんてもうこりごり。
男になんて期待しない。
絶対に信じない。
むしろ恨みしかない。

 

ちょっと出力がエキセントリック過ぎだと今ならツッコミを入れるところでもあるのですけれども、そうした男性に対する極端な感情を持っていたことによって、逆に私の20代というものはある程度守られたところがあるという変な産物があります。

 

身を守る危機管理能力護身術立ち振る舞いというものを築いてくれたのも、皮肉なことに、その苦く後悔しかないツライ経験だったということは否定できないところがあります。

 

 

自分の浅はかな10代での大転倒を肯定する気はさらさらありませんが、20代における女性としての恐怖時代を何とかトラウマを残さずに心身を守って生き残れたのは、私が純粋性しかない10代で愛と信じた何かに溺れ、大きく転び、致死量に達しそうな勢いで「心の大量出血」をした経験によると思います。

 

そういうわけで、私の20代というものは恋愛ぽいものは常にしていた気はするのですけれども、仕事以上に男性を優先するシーンというのは記憶の限りでは殆どありませんでした

 

 

出家さん
出家さん

20代は特に厳しい滝行でございます。

 

正直に申告すると、心の奥底では昔流行った牧瀬里穂さんのロマンチックなCMではないですが、「きっと君は来なーい」とかバックミュージックで流しながら、柱の陰で大好きな人を待つとかですね、「女の子」的な憧れもどこかに2ミリくらいはあった気がします。

コレ↓

 

 

でも、もう
そんなものには縁がないところへ
私は行ってしまった

そんな想いが強かった気がします。

 

中野カンナ
中野カンナ

ちょっとココ切ない話ですw

 

したがって、私の中で12/24という日付は、恋人がいても一貫して年末商戦以外の何者でもなかったです。誕生日もそうです。
殆ど「仕事」をして過ごしました。

 

今から思うと、もうちょっとそこは、別の有意義な身の振り方があったのではないかと思わないでもないです。

 

いくつか奇跡的に越冬できた恋愛が「もった理由」に関しても、よくよく考えてみると、性格が他の男性よりも私に合っていたとか愛情がより深かったとかいう事よりも、現実として真冬なのにお相手が私の借りているマンションにせっせと足を運んでくれたから、という1点のような気がします(笑)。

 

いらっしゃーい。みたいな。

 

同じ相手であっても、もし、外で待ち合わせをして会うような関係であれば、気温が15度を下回る頃に、徐々に疎遠になっていった事でしょう。

 

 

◆10代後半20代は女性にとって、おそらく等しく「暗黒時代」

 

女性にとって20代というのは、世間的には

人生で最もみずみずしさと美しさを備えた
「女性」として咲いてる黄金時代

のようなイメージである気がします。

 

 

しかし、その香りにつられ寄ってくる
樹液を狙うあらゆる天敵たち丸腰で闘わなければならないことや、20代はほとんどの場合、自分と同じように未成熟な男性が集まるという意味で、

周辺の友人や世間での話を見ていってもダメージの大きさの違いはあるものの、各人の人生にとって暗黒時代になりやすい傾向にある気がします。

 

 

まだ戦闘能力防御力経済力もなく、精神的にも不安定かつ未成熟というナイナイカードが揃っているところで、ダメージが重篤化しやすく、

悩むことの最大の原因ともなる時間と体力だけは切り売りするくらい持て余しているという時代でもあります。

 

すベて一括で売って人生とっとと終わりたいと何度も思っていた時間と体力が十数年後の自分にとって、最大の財産に化けるなんていう発想も少なくとも当時の私にはありませんでした。

 

 

一旦、精神性が往路の純粋から負の方面にばく進する時代というのでしょうか?それが20代であった気がします。

 

私の場合は出産が周りの友人たちに比較するとかなり早かったのと(どちらかというと友人たちが晩婚で高齢出産過ぎた)離婚の決断が早かった為、

30代後半になって暗黒ワールドからはUターンした気配があり(笑)、最近ようやく人生2度目の純粋時代へ突入していっている気がします。(※自分自身の評価であって、周りから見たらそうは見えないかもしれません)

 

 

でも最近思うのです。安らぎは安らぎでずっと欲しかったものでしたけれど、感情が動かされること自体が、それこそ「感動」であり、「喜怒哀楽」いずれであっても、財産だなと。

 

20代30代は涙が枯れ果てる程泣き、認識していなかった色々な感情が自分の中で沸き起こる事を経験して、

見たくないものをたくさん見ることになり、たくさんのものを奪われ、失い、人間というものがいかに愚かで虚しくて惨めであるかも血肉で感じた時代でした。

 

でも、そうした二度と戻りたくない、とてつもなく苦しい時代の山を越えて見えるのは、そうした同じ愚かで虚しくて惨めな人間社会の中で、

たった一粒の砂金のように光る慈愛に満ちた人々分かち合う喜びを自身の喜びにしている人々幸福力という輝きが一層尊いものとして映る風景です。

 

 

また、感情を揺さぶってくれる出来事というものは自分の人生のドラマにとって「面白み」や「味わい」をもたらしてくれるものであることもさることながら、自分自身も気づいていない「内側の本質的な欲望」あるいは「弱さ、劣等感、潜在的な感情」等が浮き出てくる経験になります。

 

それらを知り、向き合うということで、
自分の内側を満足させるにはいったいどうしたらいいか?という事が課題として挙げられ実現に近づいていきます。

 

 

◆女性がしなる強さの「幸福力」を持つために欠かせないコトとは?

 

私がこのサイトを始めたきっかけでもありますけれども、また傲慢に聞こえるかもしれませんが、

今現在私は、もうこの先、どんな困難があっても自分を「不幸せ」だと思うことは多分ないだろうな、という気持ちでいます。

これは経済的な意味も無くはないですが、それが大きな理由ではありません。

 

 

スピった感じがして、ニュアンスが生理的に気持ち悪いと思う人もいるかもしれません。(そういう方は無理して読まない方がいいと思います)

自分で言うのもなんですが、
これまで積み重なってきた私自身の苦しみと悲しみの経験、そこを乗り越えてきた事実のパッチワークが転化したとでも言うべき
「しなりのある強さ、精神性」になりました。これを築けたことの経緯としては、単に苦しみを乗り越えて心の筋肉をつけ、前向きに進んできたという事実だけではなくて、自分の内側の人々から信頼を獲得していったからという1点に尽きます。

大事な事なのでデカ文字にします(笑)

 

内側の人々から
信頼を獲得すること。

 

合理さん
合理さん

最初は内側の人たちもみんなバラバラでしたが今ではみんな「家族」のように協力し合って内側のリビングで暮らしています。

 

何度も繰り返しますが、内側の人々の声を聴き、キャラクターや価値観のそれぞれ異なる彼ら1人1人の個別の悲しみや怒りや幸せそうな姿を感じとって出来るだけ彼らが負担なく穏やかに暮らせることを優先して(外側の現実の自分が)生きていくという事です。

 

行動決定は
現実の自分しかいつもできません。
(※例外も稀にあります)

 

そうしていくことで、私は内側の人々から少しづつ少しづつ信頼を得、それを積み重ねていくことで自分にかつてなく、じんわり浸透しているような幸福感と、安らぎに満ちた自信を持つようになりました。

(表現しようがないところですが引っかかるものが無ければ飛ばしてください)

 

 

何だか安定感のある幸福力がついたな。

そしてそれはこの影響だな、と確信したのも実はかなり最近の事です。

 

その簡単な仕組みが分かると、人の不幸の原因がどこにあるのかも徐々に見えてくるようにもなります。

不幸な人は周りの評判がどんなに良くても、お金持ちであっても、羨ましがられる全てを持っていたとしても、自分自身の内側を継続して裏切り続けているのです。

殆どの場合はこれだと思います。

 

自分自身の内側から信用を勝ち取れない
ということは、

とても生きることが苦しくなることです。


最後まで人生という旅を共有し、
誰よりも正確に
自分自身の生き方を見ているのは
内側の人たちだからです。

 

周りの人達を
どんなに上手く誤魔化せたとしても、

内側の人々はそれさえ見ている。


彼らを裏切り続けて
自分の人生に丸をあげるのは
とても難しいということになります。

 

ぴょんちゃん
ぴょんちゃん

どんな人が何人いるかな?

 

内側の人々について存在を意識したのは私は離婚後なので、まだ現時点で約9年ですし、積極的に考え、本当にそれを私が意識して行動するようになったのは最後に所属した会社での事なので、直近3年位での出来事かもしれません。

 

ただし、実際に「居た」のはかなり幼少期の頃からだったということが現在までに分かっています。キャラクターはその時期や場面によって出てきた理、出て来なくなったりします。

 

いくつもの会社で、他のキャラクターが勤務完全拒絶で全く協力しない中、うまく運ぼうとたったひとりで頑張り続けたキャラクター「適合さん」は最後、会社を辞める直前の段階で既に瀕死となってしまい、以後、今現在までずっと寝たきり状態で回復を皆で見守る生活となりました。

 

適合さん
適合さん

最近は役目が終わり奥の部屋で寝たきりなので、登場機会が減りました。

 

以前も話した気がしますが、彼女が完全に死んでしまう直前に彼女を救うために強制終了ボタンを押したのが、普段リビングには存在しないデストロイヤーでした。

 

このキャラクターは過去2.3回しか登場しておらず、離婚直前の時と会社を辞める直前の時だけです。初回登場の離婚の際は、私の中にもこんなに爆発しそうな憎しみと怒りの感情があるのか、と自分で自分の事に思えない位、ビックリする熱量と容量を持っていました。激しい破壊感情とともに登場しています。

 

デストロイヤー
デストロイヤー

・・・。

 

なので、てっきり「怒り」「憎しみ」のキャラだと思っていました。

 

でも、このキャラが2度目に登場した時には、たった一人で戦場で闘い続けた「適合さん」を救うために、すっと静かに登場し、強制終了ボタンを押して、すっと消えていきました。

そのことから考えると、今はただの「怒り」のキャラクターというよりは、内側のキャラクターを見守る存在という印象がしています。ですから、他の内側の人々とはちょっと違うタイプの存在です。

 

デストロイヤー同様、彼女の日々の頑張りをずっと見てきた周りのキャラクターたちは役目を終えた「適合さん」を称え、バトンタッチして、今度は自分たちが退社後から現在までの別の戦いに挑んでいました。

 

ユニークさん
ユニークさん

適合さん、あとは頑張るから休んでて!。

 

この手の内側の人々の話は、私のこの「女道ブログ」の各テーマに絡んでくる別のサイドストーリー的テーマなので、今後も頻繁に出てくることだと思います。

 

そのうちピンとくる感じが芽生えた時に
共有出来たら私もうれしいなと思ってます。

 

最後に念のため一応補足ですが、特にこの「内側の人」関連の話にはAdSense の話と違い、メンター的な人や指導者は誰も居ません。

 

また、そういうわけで専門性があるわけでもなく、エビデンスも自己体験だけ!というゆるゆる体制なので何か売るような情報商材も特段ないです(爆)

 

でも、幸せになるのって
そんなに難しくないんじゃないかな。

 

って、ぶっちゃけ現在では本気で思っています。それは専門本にはきっと書いていなくって、何故なら私たちの内側それぞれに別の回答があるからです。常に内側の人たちが勝手に引っ張って行ってくれるものだからです。

これは自分にとって「体にいいモノ」を感じる力ともとても似ています。

 

毒になる言葉が音として入ってきた時や、ストレスの高すぎる人間と過ごすことというのは、
私の感覚では命を縮めていることになると確信しています。
ですから、自分の内側が声を上げている時は、本当にちゃんと耳を傾ける事が大事だと思います。

 

そういうわけで、私は元々生まれつき感受性がどうも一般的な人よりも強く出たと思われ、その為の悲しみについて受け取る情報量も多かったという若い時代の苦しさがあった事と、

美術を学んだこと、祖母の新潟という土地の空気や自然、人生の序盤が長くひとりっ子だったこと、それによって昔から心の中に神聖な存在が住んでいるというような感性?があった事などが影響していると思われます。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

いってる意味がわからんちん。

 

んなこと突然言われても困る、という人は多いと思うので、出来るだけ毎回、長引かないように小出しで行きたいとも思います(爆)今回はちょっと、長く話してしまってごめんなさい。

 

さて、次回は今とてつもなく話題になっている
さんと東出昌大さんの問題について、私なりの視点で書いてみたいと思っています(予定)

 


画像:https://headlines.yahoo.co.jp

あらかじめお伝えしておくと、このテーマに関してはtwitterニュースを見ている限りは、きっと95%くらいの女性の意見とは見解が異なると思うので(どっちが正しいとかを書くつもりもないです)腑に落ちない内容で逆恨みされるのもちょっとやだしなーとちょっと思っています(爆)デリケートな問題でもあるので、それなりに自分で合格点だと思ったら、アップする予定です。(※さん、東出昌大さんのいい悪いに言及する話ではありません)

 

ただ、今回のニュースは現代夫婦を取り巻く難問のひとつであると思われ、だからこそ考えていく価値もありますし、題材として有識者や一般的な層まで幅広く意見も既に多く出ているので、考える為の材料も揃っていると感じました。

 

そして私が今日までに感じていることは、現在の日本の夫婦や、特に女性側の考え方の「とあるクセ」「幸福力」を構築していくために少し邪魔になっているという問題、それが実は歴史や政治的な問題の可能性がある事、幸福力の構築にヒントとなりそうなアプローチの仕方について改めて模索してみたいと思っています。

実は今日ここまでに書いたことも、ちょっとした伏線にもなる予定(?)です。

 

それではまた次回、お会いしましょう!

中野カンナ

コメント

タイトルとURLをコピーしました