実家のご近所さんK夫人にまつわる昭和の子供たちにあった宝物の話

◆幼少期・初潮前時代(0~9歳)

私の実家のご近所に何十年も住まわれていたK夫人が引っ越した話の「前編」です。前編では主に「昭和の子供たち」が当然に与えられていた宝物についてのエピソードです。せつない(泣)

◆実家のご近所さんK夫人が引越しのご挨拶にいらっしゃった

 

私が生まれた東京の住宅地は、現在でも少し裏へ行けばそこそこの地域交流昭和臭が未だにギリギリ残っているエリアです。

でも、私の実家自体は用途地域的には「近隣商業地域」にあたり、大手のスーパーが徒歩10分以内に5軒ほど乱立する熾烈な生き残り競争が繰り広げられています。

 


画像:野菜売り場から回ってはいけない

 

私の小学生時代から考えると、このエリアの開発はすさまじく、個人商店が並んでいた大通りで未だに当時の営業を続けている店は去年とうとう皆無となりました。

 

そして大通りに面して続々と登場したのは1階は貸店舗それ以上の階は賃貸住宅という都心部にありがちな典型のスタイルで、当時個人店を営業していた地主は皆その大半が不動産賃貸業になり、土地を持っていなかった人々は去っていきました。

貸店舗には大手のチェーン店がテナントとして入り、この町にあった独特の文化的な色彩を跡形もなく消し去っていきました。

 

中野カンナ
中野カンナ

小学生の時は1本55円のみたらし団子を売る甘味処や文鳥やインコを売る通称「トリやさん」などがありました。

 

しかし、それは大通りに面した土地の話であって、すぐ裏の住宅地は一部を除き、その殆どがかつての姿のまま残っています。「一生のお買い物」として建てた家はその天命を全うしているといった状況です。

 

 

その中でも私にとって、とても思い入れのあったお宅のK夫人が今月、我が家へ挨拶にいらっしゃいました。軒先に大きな柿の木がある一軒家のお宅のご婦人です。

 

なんでも現在の家は引き払って、お一人で横浜のマンションへ越されるという話でした。その日は最後にご近所挨拶のためにわざわざ来られて、我が家へも足を運んで下さったのでした。

 

私をそれこそ幼少期からご存知で、これまで何十年もご近所さんだったK夫人とのお別れです。

 

 

◆昭和の子供たちにあったもの①ひとりの時間とひとりの聖地

 

前述の通り、私の実家のあるエリアは私の幼少期にはまだ個人店が気ままに営業をしており、私の自宅の裏は囲繞地(基準法道路に接道していない土地)の空き地でした。私の家の横の細い通路からその空地へくことが出来、その空地は私にとっては秘密の花園のような存在でした。

 


画像:monstera.jp

 

花園といっても誰も管理をしている様子のない、今思えば当面新築できない無価値扱いの空き地でしたから(接道していないため)様々な放置物があり、野良猫が居て、雑草があちこちに生えて、中華料理屋の油っこい空気が換気扇から流れてくるような空間でした。それでも100平米近くあったと思います。

 

中野カンナ
中野カンナ

私の想像力を育んだのはこの空き地と、新潟の祖母のとのお盆の日々だった気がしています。

 

そこで私はおよそ10歳までおとぎの国にいるような感覚でほぼ独りで遊んでいました。私には当時、兄弟がいなかったからです。たまに友達も連れてきましたが、そこは特別な友達しか連れてくることはありませんでした。私にとって何より神聖な場所でした。

 

 

◆昭和の子供たちにあったもの②子どもたちが安心して自由に遊べる場所

 

同時期、私が複数の子供たちと遊ぶのはその聖地である裏空き地ではなく表側の住宅エリアで、近所には2歳年上と1歳年下の姉妹と、同じく2歳年上の女の子、それに同じ学年ではない男の子が数人いました。

 

みんな兄弟が居ましたが私だけ当時、一人っ子でした。漫画のような話ですが、上の兄弟がいる子は年下でも強く、何の後ろ盾もない私はたいがい邪険にされていたという記憶しかありません。

 

 

でも、近所で遊ぶとなると日が暮れるまで遊べるというのが良かったのか?何故かいつもそのメンバーで(笑)、住宅地の1区画全体を使って「かくれんぼ」「缶けり」「ドロケイ」を日が暮れるまでするのが日常でした。

 

冬だと本当に最後解散するときには星が見えるほど真っ暗でした。(基本的に隠れる遊びかままごと)いま、さらっと書きましたが(笑)

 

住宅地の1区画全部が
子供たちの遊び場。
全部子どもたちのもの!

 

今思うと本当に信じられない事ですが、人の家の壁だろうが庭だろうが屋根だろうが、「隠れる」ために必要であればすべて使ってOK!というのがこのエリアでの遊び方でした。

 

隠れる方も探す方も、人の家の壁を渡り、人の家の庭に侵入し、人の家の裏の通路や窓と壁の間などを必死で移動して遊びました。

 

たまに「雷親父」的なリタイアしたお爺さんに怒られることもあったはずでしたが、それも次からは見つからないように巧妙に隠れながら侵入し、遊びきっていました(笑)。

 

 

ですから、今でも私はその住宅地の中のどこに秘密の通路があるか、外から見えない裏側の庭がどうなっているか知っていたりします(笑)不思議な感覚です。

 

 

◆昭和の子供たちにあったもの③子どもを見守る寛容で温かな大人たち

 

K夫人のお宅も、例外なく
私たち子供の遊び場でした(笑)

 

 

ある日、いつものように隠れて遊んでいた私でしたが、その日に隠れていたのはK夫人のお宅の2階のバルコニーの物陰でした(笑)

 

我ながら、あり得ないだろと
ツッコみたくなる場所ですw

 

 

そこへ隠れるにはK夫人のお宅のブロック塀によじ登り、ブロック塀から1階の屋根に乗り移って、自力で2階のバルコニーの柵に手をかけよじ登るしかありません。(ほんとごめんなさい。)

 

ここまで行くと
完全に家宅侵入だと思うw

 

中野カンナ
中野カンナ

悪いことだとあまり思っていなかったのも凄いですw

 

その際、きっと物音でもしたのでしょう。バルコニーに到着し、バルコニーにあった物陰に私が身を潜めた途端、背面のガラス扉がガラッと開いたのでした。

 

 

そして、そこに立っていたのがK夫人で、すぐに私の姿を見つけ、

K夫人:「あら、カンちゃん何しているの?」

と涼しげに聞いてきたのです。

 

もし現代だったら、どんな犯罪者が侵入してきたのだろうと顔面蒼白で、扉を開けるのにも勇気がいるような、ちょっとしたサスペンスなシーンだと回想しながらいつも私は思うのですが(笑)、当時のK夫人は特別驚いた様子もなく、いつものように微笑んで私に話しかけてくれました。

 

 

その後の私の対応もおかしいのですが、

中:「し~っ今ココに鬼から隠れているんです。」

と答えたと記憶しています。そしてそれに対してK夫人はというと今度は

K夫人:「あら、ごめんなさいね。気を付けて隠れてね。」

と言って、そのまま静かに申し訳なさそうに扉を閉めたのでした・・・。

 

たったこれだけの話なのですが、私の中では(自分のおうちなのに謝らせてしまって申し訳なかったな)というちょっとした罪悪感があり(そこじゃないだろw)とても鮮明で何だかちょっとキラっとした記憶としてそれからもずっと現在に至るまで思い出として残っていました。

 

その思い出はK夫人のお宅の大きな柿の木が鈴なりに実をつけているのを見るたびに思い出される映像でした。

 

 

子育てをする立場になってから、よくこの記憶を思い出すようになったのですが、私の幼少期は色々な意味で子供たちにとってはとびきり豊かな時代だったなと本当に思います。

 

私はたまたま当時まだ一人っ子でしたが、この話にもあるように大半の家では子供たちは兄弟がいて、一人っ子は珍しく子供の数もまだ多い時代でした。

 

ですから各家庭には年齢は異なっても「子供」がおり、子供というのは遊ぶのが仕事で、自然と「お互い様」のような意識も強かったように思います。子供たちは地域の大人に見守られて遊んでいました。

 

 

現代の子供たちは、子供を狙う犯罪が格段に増えたこともあって、まず親や先生の目が届かない場所で遊ぶことすら許されず、子供のいる一般家庭は少なくとも都心部ではその殆どが共働きとなりましたから、

実質、想像力を育む年齢にひとりで屋外で遊ぶことなど許されません。

 

 

私の娘の園児時代には、預けていた保育園の近隣住人の方々が「夏のプール」は子供たちの声が騒がしいから週に2回だけにするようにと春ごろから保育園側にあらかじめ訴えていたことがあり、

 

ところがその年は大変な猛暑だったため、そこを何とか3回にして貰うことはできませんでしょうか・・・と園の先生方と保護者で汗だくになって頭を下げお願いに回ったということがありました。

 

 

それは私の住んでいる地域だけの話ではなく、東京近郊では待機児童を減らすために区が保育園の増設に取り組んでいたところ、保育園は子供たちの声がうるさい(し、それによって土地の価値が下がる)という理由から計画を出しても近隣住人に必ず猛反対を受ける為、なかなか施設数を増やせないという事情があると言われています。

 

苦渋の策として子供たちが1日の大半を過ごすことになる保育園が鉄道の高架下に園庭もないコンテナのような保育園として出来ていました。

 


画像:http://seiko-densetu.co.jp/wordpress/?p=297

今は、明らかに子供の方が
大人の都合に我慢をしている時代。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

これじゃ、どうぶつも飼えないね。

 

男性の育児休暇取得についてはこちら↓

国家公務員男性の育休取得でイクジなし夫は悪・イクメンは正義になる?
昨日、国家公務員の男性の原則1ヶ月超の育児休暇取得を促していく今後の指針の検討がされているというニュースがありましたので、9年前にワンオペ育児に倒れた後、家族解散した者の視点から考えてみました。

 

しかし、次回「後編」K夫人のお話を聞くと、今度は昭和という時代に「無かったモノ」もたくさんあったのだということを痛感させられます。

 

それを獲得するために、私たちはここまで歩んできたとも言え、そこまでの事を踏まえると時代をいいバランスで移行していくということの難しさを感じます。

 

いつの時代も
「宝物のようなもの」と
「無いもの」が同時にある。

 

そんなことを痛感した今回のお話でした。

それではまた次回お会いしましょう!

中野カンナ

 

 

K夫人との「後編」はこちらです↓

子育てと母親の介護を終え、旦那を看取ったご近所K夫人の門出の話
私の実家のご近所に何十年も住まわれていたK夫人が引っ越した話の「後編」です。後編では主に「昭和の女性」が迎えた令和のひとつの生き方についてのお話です。

 

【お知らせ 2019 10/27】

当面、手探りで運営する個人サイトであるため、素人感たっぷりだとは思いますが、
twitterアカウント「中野カンナの女道」を準備しました(笑)←実はこっちも良く分かっていないw

 

記事数が整い次第、にわかにつぶやこうかと思っています(笑)

 

中野カンナ
中野カンナ

宜しければフォローをお願いいたします。

 

なお、同姓同名が多発している「中野カンナ」ですが、現状で運営しているのはこのtwitterアカウントのみで後はtwitterもFacebook、その他に関してもこのブログ以外は他人様です(笑)

 

本人に心のゆとりが生まれましたら、またFacebookなども開設していくかもしれませんし、しないかもしれません(笑)その際には都度お知らせいたします。よろしくお願いいたします。

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