10代の妊娠・中絶決意までの状況と心境回想~人生最初の大恋愛②

◆思春期後半時代(16~19歳)

今回は初めての大恋愛の話の「後編」さらに①であり、10代後半に発生した「妊娠中絶体験」についてがテーマです。少し深刻な内容なので書き方に気を付けて当時の記憶と今現在のそれを踏まえた考えを話したいと思っています。
「後編」①は妊娠が発覚し、相手へ報告するところまでのお話です。

◆最初の大恋愛の後半の話は、妊娠と10代の中絶問題

 

以前、10代後半に最初の大恋愛をしたお話をしました。その「前半」では主に「女性とPMS」についてのテーマに絞ってお話しました。

 

①「前半」は主にPMSというものに初めて遭遇するという話。
②「後半」は大恋愛の末、妊娠してしまうという話。

 

「大恋愛」前編のお話はこちら↓

生理に殺されそう!精神面を狙うPMSの自覚~人生最初の大恋愛①
今回は10代後半に発生した「PMSによる絶望感と希死念慮の体験」についてがテーマです。この問題は女性の人生で「幸せの質」に序盤から直結してくる重大問題のひとつだと言えますので、ちょいちょい登場するテーマのひとつとなると思います。また、人生最初の大恋愛にも触れています(笑)はずかし。

 

中野カンナ
中野カンナ

PMS問題は女性が重要な決断を迫られる時期に影響するものなので是非、私の転倒を参考にしてくださいw

 

今回はもう少し、ヘビーな方のお話で、10代後半の私が実際に大恋愛の末に「妊娠」「中絶」を経験するというお話です。

 

書き始めてみたらですね、この問題も重量が多いので、やっぱり分割しようと思います・・・。

 

 

◆妊娠中絶を決意するまでの状況と心境を回想する

 

大恋愛「前編」を読んでいただけるとだいぶ空気感は伝わるのではないかとは思うのですが、再度改めて前提条件としてあったものを振り返ってみたいと思います。

 

◆これまでの恋愛と違って、いみじくも大恋愛となってしまった理由と背景

 

私は中学受験で中高女子一貫校へ進学し、青春時代の6年間を女性だけの環境で過ごしました。

 

 

今思うと、その環境が与えてくれた大きな恩恵などもあって、女子校育ち特有の能力がこの年になって生きてきたところを感じる為、スゴクよかったなと思えるのですけれども、そう思えたのは独立して仕事を開始してからという本当にかなり直近の話です。

 

実際に、自分の青春時代や社会に出た後は特にその「人類として不自然な環境」に対して疑問しかありませんでした(笑)

 

社会に出ると、
男性とのパワーバランスが
ますます不均衡に(笑)

 

これは、また別テーマだと思うのでおいおいお話することとして、そういうわけで「男性がいる環境」というものが小学6年生以来なかった私がそこには居ました

 

 

それまでも年上の彼氏さんは何人か居ました。女子校で交際相手ができる場合は、文化祭だの合コンだの(私は集団行動が苦手だったのであまり行かなかったですがw)バイト先だの予備校だのと意外と出会いとなる場所はあります。

 

でも、「同環境」「同目線」で青春を共に構築するような相手は初めてだったという事です。私は大学受験の予備校で後に交際する彼氏さんMMと出会います。

 

「恋愛」に対する経験値抗体がまだ全くなかった「往路の純粋」街道をひた走る私は出会って間もなくこれまで感じたことのない恋愛感情で火が付いたように恋に落ちてしまいます。(正直、今書いていてため息しか出ませんw)

 

これが愛というものなのね!

 

本当に、今、まさに思春期に突入した娘を育てている身なのでこのような不審火の引火事故には母親として最も警戒しています。

 

 

◆本来、私たちは経済力0の受験生で大恋愛している場合ではなかった

 

そして、当時の彼氏さんMM「受験生」として、大学受験に合格することを目標に、双方親が働いたお給料をつぎ込んでもらって「受験予備校」へ通わせてもらっている身でした。

 

当たり前ですが、

恋愛する為ではなくて、
大学に合格するために来ていたのです。

 

ムスメちゃん
ムスメちゃん

テッテレー

 

私たちが通わせてもらっていた「受験予備校」は一般の普通大学の予備校ではなくて、美術大学受験のための予備校であったため、受講費もとても高く、その上、画材にも同じくらいお金がかかるという・・・今思うと全く経済観念ゼロの温室育ちの若者二人でした。

 

私の父は当初、美術大学受験には大反対しており、結局のところ

お前が女だから許す。

と言って、合格後に大学へ行かせてくれました。。。

 

 

しかし、商売人であった父はその後もずっと美術と関わる娘を否定し続け(笑)、娘からも何度も恨まれたりしているのですが(苦笑)、今となっては当時、父が私に言わんとしていたことは分かる気がしています。

 

ただ、「美術という世界」の事でお話すると、「女子校育ち」に続き、人生の折り返しに近づくにつれ、その喜び幸せをもたらす根幹となっているのは私にとっては「美術教育」だと断言できる状況なので、何とも言えない部分はあります。

 

とりあえず、まどろっこしい話はやめてまとめると・・・

●お互い経済観念ゼロの受験生だった
●美術大学進学に私の親は大反対だった
●それでも親は「予備校」に通わせてくれていた

こんな感じです。

 

 

◆当時の私たちは目的に向かって、正当な歩みを踏んでいると思っていた

 

「妊娠」というまさかの状況を迎えるまでは、私と彼氏さんMMは共に同じ目標である「受験」「美術に対する想い」を毎日のように熱く語り合い、それが受験に対するモチベーションを上げ、実際に制作物についての質の向上にも寄与していた為、

親に対しても交際に後ろめたさなどは一切ありませんでした。むしろ、よく精進している、といった心境です。

 


画像:https://acrylicrab.com/aburae-kyanbasu-sitaji

 

恋愛は苦労も寒さも感じない
脳内麻薬が出る。

 

彼氏さんMMに対しても、当時の私は「いつか、この人と結婚するのかもしれない」と感じていました。

 

完全に結婚もナメてる。

 

お金がない、しがない受験生の私たちは、冬の寒空の下で自宅から歩いて1時間もかかる場所で極寒の中 待ち合わせしてただ数時間一緒に歩くためだけに落ち合うということもよくしていました。

 

(私の家に門限があった為、一度帰宅してこっそり終電も無くなるか無くならないかの時間にこっそり出ていました)

 

自分がどのくらい本気で彼に対して純愛の感情を持っていたか、これを思い出すとしみじみします。

 

中野カンナ
中野カンナ

無念ですw

 

◆大学受験シーズンが到来した1月にまさかの妊娠発覚

 

私たちふたりの状況がガラッと変わったのは、出会ってから季節が1年の最後の季節である冬へ突入し、新年を迎えて間もない頃でした。

1月というと受験生からすると国立大学の諸々の動きが開始します。美術大学受験生の第一志望の大学は皆、「東京芸術大学」

 


画像:https://media.thisisgallery.com/20181873

 

私も彼氏さんMMも当然、そのゴールを第一志望とし、目指していました。ところが、その「東京芸術大学」受験の最初の関門となる一次試験(足キリがあります)の1月、事件は起こります。

 

一次試験が行われる10日前とか1週間前とかそのくらいの超直前期に、私の妊娠が発覚してしまうのでした。

 

受験シーズンスタート直前で
まさかの妊娠発覚。

 

 

◆健康で若い女性の妊娠に「まさか」はない。

 

「まさかの」と一旦書きましたが、本当は「まさか」などではないのです。「恋は盲目」とはよく言ったもので、

 

あまり表現したくない事ですが、当時の私はあまりに彼を好きすぎて、妊娠する可能性のある状況を何度か受け入れていました。

 

また、今正直に話すとそれを私自身が「深く愛されてとても幸福なこと」だとも思っていました。同時に「そんなたった数回で妊娠することはないだろう」という甘い考えもあったのです。

 

 

今思うと、当時の自分を
ひっぱたいてやりたい・・・。

 

当たり前の事ですが、健康で若い男女が避妊しないで生殖行為を行ったら、妊娠しない方が異常なのです。

 

また、たとえ二人の間に愛(?)があったとしても、赤ちゃんを迎え入れ育てることのできない状況で避妊もしないでそうした行為に及ぶということは、「愛ではなく過ち」だと今は思います。

 

 

◆若い女の子の幸福を守るための「性教育」は親の誇りにかかわる

 

若い頃の私が無知でバカ過ぎたのもありますが、女子校育ちで「性教育」をこれでもかという程、カリキュラムに入れられていたのにも関わらず、このような状況へ至るというのが現実です。

 

 

ですから、「性教育」もただ授業で○○時間行えばいいというわけではなくて、本人たちの心の中に具体的に育てられない時の妊娠は女の子の幸福を脅かす悪であるという意識づけ、「危機感」に対する「管理能力」が必要であることを根を伸ばすような方法で教える方法をとらないと意味がないと痛感します。

 

学校の先生ではなくて親が。
女の子だけでなく
男の子の親も。
「性教育」をする必要があります。

 

 

それは子供たちの幸福を守る
ひとつの大きな力。

 

実際、私と私の母の間では、当時の時代性もあったとは思いますが「性教育」に関わる話というのは殆ど皆無でした。

 

覚えていることと言えば、小さい頃にトイレの際「女の子はお尻の後ろ側から手をまわしてペーパーを使わなければならない」ということと、

初潮が来る頃に生理用のショーツを買いに行ったこと、用意された生理用品の使い方、使用後捨てる際のエチケット教育程度です。。。

 

では「なぜ、後ろ側から拭かなくてはいけないか」という理由も知りませんでしたし、生理が来るまでは自分にもうひとつ孔があるなんてことすら知りませんでした(笑)。

 

行為に及べば妊娠するらしいということは学校教育で認識していたものの、そのリアリティーは全く持っていませんでした。

 

 

「性教育」に関しては正直、学校に丸投げしたのが私の母親です。どうしていいか分からなかったから、というのももちろんあるのでしょうし、親として触れたくない「性」に関することだったのが大きいと思います。

 

おかあさんは
「性」の話をしたくないようだ。

 

その温度感は子供にも確実に伝わります。

実際私は妊娠という現実を迎えても、最も自分に近い女性であるはずの母親に「妊娠した現実」について報告も相談もできませんでした。(今現在に至っても、もはや言う必要がないので言っていません。)

 

確かに色々な意味で自分に親に対する「後ろめたさ」があったのも認めます。

 

でも、その経験があったことで、私にとって特に母親はその後、結構長い間「子供が最も必要な時に助けることができなかった親」という認識になりました。

 

相談しなかったのは私の判断でしたが、相談することが許されないと当時の私に認識させる「ある種の圧」はあったと思っています。

 

娘を持って思うこと。
母親としてそんなに悲しいことはない。

 

親なら娘が育てられる力もないのに10代で妊娠してしまった事実も悲しいでしょうが、そんな時に「相談すらしてもらえない無力な母親」である自分がいたとしたら、私だったらですが本当に絶望的な気持ちになると思います。

 

私が育成された時代はそれでも何とか成り立ったのかもしれませんが、今の時代は絶対に避けた方がいいことだと私は自分の経験から感じています。

 

親が、ある日突然意を決して「性」を話し始めるのではなくて、小さい頃から会話に織り交ぜていくのが自然なのかなと私もまだ模索しながら娘には色々なお話をしています。

 

何かあったら相談してもらえる母親になるために。相談してもらえなければ、助けることもできません。

 

 

◆人生はじめての妊娠とその兆候は微熱と頻尿

 

というわけで、私は10代で初めての妊娠に至ります・・・。

 

 

最初に妊娠に気が付いたきっかけとなる初期症状としては、私の場合「頻尿」「微熱」でした。ずっと続く発熱しているような頬の熱と、夜中寝ている間の「頻尿」です。1晩で2回か3回我慢できないのでトイレに行く状況が続きました。

 

薬局で買った妊娠検査薬で検査すると「陽性」のラインがくっきりと浮かび上がりました。翌日、今でも親交のある同じ予備校に居た女の子の友達Pちゃんに相談し、一緒に都心部にある『母体保護法指定医』のいる産婦人科へ同行してもらうことになりました。

 

 

『母体保護法指定医』のいる産婦人科とわざわざ書いているのは、そうではない闇医者というのも存在するようだからです。

 

私は必ず人生で子供は持ちたいと若い頃から考えていました。ですから都合のいい話だと承知で書きますが、状況が揃った時のために次の妊娠と出産の可能性を残しておきたいと思っていたのです。

 

ですからそれが脅かされる可能性のある手術はどんなに金額が安かったとしても選びたくないという気持ちがありました。

 

母体保護法指定医とは?

母体保護法指定医師(ぼたいほごほうしていいし。以下「指定医師」という。)とは、母体保護法(昭和23年法律156号)第14条に基づいて、医療行為を行うことが出来る医師のこと。
引用元:Wikipedia

 

お医者さん
お医者さん

きちんと調べることが重要です。

 

◆母体保護法指定医師のいる産婦人科医にいく

 

そういうわけで、友人Pちゃんが相談当日に周辺からあらゆる情報を私の為にかき集めてくれて(当時携帯電話は普及していませんでした)

 

たしか当日だったか翌日には産婦人科へ行くことができました。もちろんPちゃんもありがたいことに同行してくれました。

 

 

診察の結果、妊娠第9週目であることが産婦人科で確定し、医師の質問、つまりは出産意思の有無を問われました。

 

私は、私自身がまだ10代の学生であり「経済的に産むことができない」ということを医師に伝えました。医師はとても丁寧な話をしてくださって、手術の予定日と手術に必要となる料金、手術をどこまで延期できるかという詳細を教えてくれました。

 

 

◆中絶手術の可能な妊娠週数とは

 

人工妊娠中絶には手術ができる妊娠週数というものが決まっています。最大で21週6日以降は中絶を行うことが法律上許されない事になっています。しかし、40週ほどで生まれる胎児の21週となると半分ほどの期間となるという事になりますから、大変な手術になり、扱える病院も限られてくるようです。

 

また、妊娠12週を超える「中期中絶」は母体への負担も初期に比べて大きいため、通常でも2~3日の入院が必要となるようですし、また、12週を超えた胎児が出生しなかった場合は理由を問わず「死産届」の提出が必要になります。

 

妊娠12週を過ぎてしまい、胎児が出生しなかった場合は中絶であることや流産、死産であることなど理由を問わず、死産から7日以内に死産届を提出しなければなりません。

引用元:出生届製作所

 

私が気が付いてすぐに病院へ行った段階で第9週だったため、妊娠第12週というのは考えているよりあっという間だと思っていた方がいいです。

 

本当に今思い出しても頭がおかしいと思うことは、私は最初に産婦人科へ行ったとき、明確に「産むことができない」と既に決断ができる状況でした。だったらどうして事前にきちんと避妊を徹底しなかったのか。これは誰に責められても自分が浅はかで無責任な人間だったというほかありません。

 

人は、現実が出てくるまで
リスクへの実感ができず、
必要な管理を怠りがちになるのだと思います。

 

 

◆交際相手の彼氏へ妊娠を報告。純粋と期待は足元をすくう

 

そうして、手術日程を決めた後で、私はようやく彼氏さんMMへ妊娠を報告することになりました。

 

「妊娠しました」と報告した時、彼が冷静を装いながらも小刻みに震える様子がありました。もう20年以上経過したのに、なぜかこの光景は鮮明にまだ目に映像として残っています。

 

その時、無力な彼は「私の話の続きを一刻も早く聞きたい」というようにただただ待っていました。自分からは何も言いませんでした。

 

「早く産まないと言って。」そんな感じです。

 

私の心境はというと、最初から中絶手術を受ける前提で話を切り出すつもりでした。でも、その当時の私には「中絶手術」という言葉自体を発音することすら耐えられないような状況にありました。

 

ひとたび発音してしまえば心のスイッチが押され、号泣してしまうかもしれない。そんな心境です。

 

中絶手術を受ける前提で話を切り出すつもりだったというところに関しては、受験生という身分で彼氏さんMM「産んでほしい」と思うとは到底思えなかったからです。

 

これまでの大学受験へ向かう気持ちや合格後の未来へ抱く希望を語り合う中で、それを強要することは彼から未来を奪う事だとも思いましたし、正直、自分に対しても同じことを思っていたと思います。きれいごとを言っても仕方ないのでオブラートに包まないで表現しています。すみません。

 

 

彼も本音は同意見だろうということが、当時の私には明確に想像できた為、妊娠の事実や中絶手術を受ける報告自体も彼にはしないでおこうかとも迷っていたくらいです。

でも、産婦人科に同行してくれたPちゃん

 

「それは(一緒に命を生み出した者の責任として)きちんと話した方がいい」

 

と私に言ってくれたので、報告しようという気持ちになったという感じでした。本当に、Pちゃんがそう言ってくれた事には今に至っても本当に感謝しています。

 

そして、当時の私は自分にも彼にもこれ以上、無意味な期待による無駄な失望をしたくなかったので、できるだけ想像しないように努めていたように思うのですが、あの時の私を今になって振り返る時、

 

心の本当に奥の奥の奥の奥の方では、彼がもしかしたら「産んでほしい、一緒に育てていこう」と言ってくれるのではないか、という気持ちがそれでも砂粒ひとつくらいはあった気がしています。

 

オトメの純情は本当に狂気です。

 

 

なんて純粋で哀れで救いようのないバカなんだと、今思い出しても、涙をこらえきれない自分が居ます・・・。

 

当たり前ですが、想定通り
産んでくれと彼が言うわけもなく。

 

私はできるだけ感情を使わないように「産みませんので。。」と自分から伝えたと記憶しています。今、感情に飲み込まれてしまったら大変なことになるという事だけは当時も分かっていたので、棒読みで事務的な話しかしなかったと思います。少しほっとした表情を浮かべた彼がそこには居ました。

 

また、彼の想像通りの回答に、私自身も「やっぱりね」という想定通りの失望感はありました。

 

感情を使うことを極力封印していたので、さらに間髪入れずに「お金は?」と聞かれた時にも「私の方で何とかします。」と即答し、その日は特に未練もなく別れました。

 

彼に対しては若干の違和感を覚えつつも、「これでいいんだ」と言い聞かせる自分の方が当時は強かったように思います。

 

 

◆小さい頃から祖父母や親戚に貰っていたお年玉はすべて中絶費用になった

 

現実問題として中絶費用の件ですが、私は小さい時から家の方針で「お年玉」はそのほとんどを銀行へ貯金することを義務付けられてきていました。そして、引き出し不可でした。ですから0歳から18歳まで貯めてきたお年玉貯金があり、それを18歳の誕生日にたまたま両親から返還されていたのです。

 

 

お年玉はほとんど全部、中絶費用になった。

貯めてきたお年玉貯金の返還から、1年しないうちに幼少期からの祖父母や親戚から与えられた金銭は、私の中絶費用で殆ど消えました。差額が1万円位で本当にギリギリだったことを記憶しています。

 

私にとっては小学校に上がる前から、ずっと将来の為に子供の時から楽しみに貯めてきたお金です。そして、それは同時に両親や祖父母が汗水流して働いて稼いできてくれたお金でもありました。

 

 

特に母方の祖母に関しては経済的に決して豊かだったわけではなく、地方の農家であり、日々厳しい天候や労働で稼いできていたのを私は小さい時から知っていました。

 

私にお年玉を上げるために質素倹約に努めてつつましく暮らしているのかもしれないと子供ながらに思うこともありました。

 

それを中絶費用にしてしまう事になってしまったという自分の愚かさにも本当に心の底から怒りを覚えていました。愚かすぎて愚かすぎて死んでしまいたいほどでした。

 

でも、私と彼にとって、

とても都合の良い酷い解釈だとも思いますが、何度も言うように当時

出産しないことは私たちが
「自分の未来を生きるための選択肢」
でした。

 

 

私が生きること自体がこれほどに愚かでも、この命や人生が「生きることができたはずの者」の人生を奪ったことで成り立っているという事実がありました。自分で死ぬことすら許されない選択をしたのだという気持ちを少なくとも私は持つようになっていました。

 

でもずっと長い間、その選択が本当にあっていたのか?ということを私は毎年その時期になると必ず思い返してきたのですが、未だにそこまでして成し遂げるべき「何か」があの時の私の未来にあったかというと正直、未だに何が「正解」だったかは分かりません。

 

もうひとつ、彼氏さんMMはとうとうこの件に関して、将来にわたっても結局1円も身銭を切ることはありませんでした。もちろんそもそもあの時の彼にはお金自体が全くなかったこともあったと思いますが、お金の問題が浮上しなかったことで彼は私同様、両親へその件を報告する必要もありませんでした。

 

なにが言いたいかというと、

男性である彼に「失ったもの、傷つけられたもの」など具体的にはひとつも存在しなかったという事です。

 

そして、仮にここで彼がこの件に関するお金を全額支払っていたとしても、正直、女の子がそこから生涯ずっと背負うものというのは、金銭に代えられるような種類の傷みではありません。

そのことを、特に女性には強く伝えておきたいなと思います。

ここで泣くのは
必ず女の子だと。
かならず。

 

その時の私は、彼を何故か病的に愛していたので、それでいいとも思っていました。しかし、時間がそこから何年も何年も経過していっても、癒えることはない、いえ、癒えることが許されないとも言うべき背負う十字架の重さに対し、彼が何一つ傷つけられるものがなかったという事実はあまりにも消化が難しい現実でした。

 

「消化が悪い」というのは、つまり自分の幸せを邪魔しつづけるという事です。

 

 

彼が負ったのは吹けば飛んで忘れてしまうような事実の記憶だけ。

彼は中絶手術の当日、それも今となっては建前だったと思いますが、予備校も休んで私の手術にほぼ半日同行しました。手術前に嗚咽して泣き続ける私の映像と、手術後に嘔吐する私の姿だけが彼が背負った代償(?)だと思われます。

 

自分の身体を痛めたわけではないので、その記憶ももうはるか遠くへ行ってしまっている事でしょう。

 

 

◆それでも幸せを手放したり、幸せになることを諦めてはいけない。

 

これを読んでくださっている女性の中には、同じように中絶手術を過去人生で経験された方もいるのかもしれません。その経験を胸に抱きながら「幸せ」を成立させていくまでには気の遠くなるような時間が必要になるかもしれません。

 

けれども、私から報告させてもらうと、

 

私は今、
それでも
結構しあわせです。

 

相手への負の感情(主に憎しみ)をうまく消化できるきっかけとなったのは

 

●その先で、運良く娘を無事出産することができたこと
 
 
ムスメちゃん
ムスメちゃん

ばぶ

 

実際に再度妊娠ができ、出産ができたことが直接的な要因にはなりましたが、「しあわせ」に関してはまた別次元だった気がしています。「しあわせ」に関して言えば、具体的にはこんなことが大きく影響したと思っています。

 

●自分の人生において「それでも幸せになるんだ」ということを諦めなかったこと

●そのために自分にとって「しあわせ」とは?と問い続け、模索してきたこと

●「転ぶ」失敗体験を不運や不幸ととらえるのではなくて、「自分がしあわせへ向かう為の方向転換となる指令」と捉えることを意識的にしてきたこと

●外からの情報よりも自分の体感情報を優位に置くこと

 

しあわせになってくると、
色々恨んでるのも
正直バカバカしくなってくる(笑)

 

今はあの当時、自分自身が愚かで未熟な若い女の子であったように、彼自身もきっとそうだっただけなのだと思えています。

 

こんな最大の窮地にダメな
ダメンズと結婚しなかっただけ
よかったじゃないか(笑)。

 

ダメンズは女の人生の登竜門。

 

 

あと・・・。男性に対しては、「女性に恨まれる可能性を残す別れ方」は絶対にしない方が良いということを最後にお伝えさせていただきたいかと思います。女性にたくさん恨まれた男性というのは大成していないか、大事なものを根こそぎ奪われる傾向にあります。必ず運気を落とす。何故なら気が汚れるからです。

 

この世で一番怖いのは
幽霊でも心霊でもなく
生きた女の「念」です。

 

ちょっと脅しみたいなラストになってしまいましたが(笑)

 

女性には優しく
いつもサムライな精神で。

 

それではまたお会いしましょう。

中野カンナ

 

※今回のお話の続きについては、もう少し書きたいと思います。(ちょっとヘビーなので気が向いたときに分割でw)

 

SHELLYさんの離婚に現代夫婦が家庭円満で子供を育てる難しさ
2017年11月、堅実派のタレントSHELLYさんと夫で番組ディレクターの相田貴史さんが離婚されました。改めて自分の経験も踏まえて現代日本での「育児の難しさ」「家庭運営の難しさ」を見てみます。

 

【お知らせ 2019 10/27】

当面、手探りで運営する個人サイトであるため、素人感たっぷりだとは思いますが、
twitterアカウント「中野カンナの女道」を準備しました(笑)←実はこっちも良く分かっていないw

 

記事数が整い次第、にわかにつぶやこうかと思っています(笑)

 

中野カンナ
中野カンナ

宜しければフォローをお願いいたします。

 

なお、同姓同名が多発している「中野カンナ」ですが、現状で運営しているのはこのtwitterアカウントのみで後はtwitterもFacebook、その他に関してもこのブログ以外は他人様です(笑)

 

本人に心のゆとりが生まれましたら、またFacebookなども開設していくかもしれませんし、しないかもしれません(笑)その際には都度お知らせいたします。よろしくお願いいたします。

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