産後鬱~精神病院・心療内科へ離婚前後の梅核気こころが幸福力を築くまでの死闘

◆病気のはなし

今回は結婚中の産後うつから「幸せが見えなくなる」精神的心の病梅核気の発症など、私に起こった心の問題の諸症状とそこから現在に至る回復までの経緯、その際に通院した各病院の事について治療方針や感想なども含めてお話しています。

◆心の病気、鬱症状はいつも「本気」で「純粋」な狂気であることを忘れてはいけない~病院選び

 

こんにちは。中野カンナです。

 

中野カンナ
中野カンナ

寝てません。

3分割の2個目の記事となります。

 

■1個目の分割記事では離婚前後の事を詳し目に書きました↓

怒りの感情は変化する~離婚から現在までの元夫や家庭への気持ちの変遷
今回は離婚前後の夫婦に起こった修羅場とその当時の激しい感情~現在の幸福感、元夫に対する感情の変化、経緯についてつらつらと書きました。

 

なかなか約9年も前のこととはいえ、離婚前後の事は意外と活字にして改めて書いてみるとしみじみ「よく頑張ったな」と思いのほか感度の高い週末を過ごしてしまいました(笑)

 

今回はその間に私を襲っていたココロの問題について詳しく追っていきたいと思います。ちゃん東出昌大さんご夫妻の問題に取り組む工程でなぜか3分割になってしまった記事ですが、ちゃんも情報によると家庭の問題で精神的に追い詰められ、現在心療内科に通われているという情報が一部で報道されていました。

 

色々な意味で私と共通項の多い結婚生活です・・・。

 

早速、私が死闘を繰り広げた問題のお話に行ってみたいと思います。私は、元々「明るい子」として幼少期も表向きは生きてきましたが、どうも持病としての「影」を常に少女時代から抱えて現在までに至っています

 

持病については幼少期に父親から毎日のように「しつけ」という名目で殴られて育ったからかもしれませんし、私の幼少期は一人っ子だったので家の中にも外でもいつも「ひとり」、守ってくれる人はおらず、孤独という属性からかもしれませんし、

あるいは元々遺伝子レベルで組み込まれている事だったかもしれません。

 

感受性がとにかく強かったため、ずっと心の振り幅が大きかったという印象です。でもこうした気質があったおかげできっとモノをつくることや美術に興味を持ったのだとも思いますし、ごく最近になって、感情が動くことは悲しみも苦しみもすべて「感動」だな、と思うようになり、感動の多い人生だったのだから、やっぱり私が与えられたものは不幸ではなくて幸せなことだったのだとも思えるようにもなりました。

 

でもそこへ至ったのは
ごくごく最近。

 

結婚生活においては、その持病の部分がアレルギー反応を起こし、とある「発作」を繰り返し起こすようになっていきます。その経緯やその持病と上手く生きていくことができるようになったという確信に至っている今現在までの経緯、通院した病院、離婚直後から現在に至るまでの感情の変化についてここから詳しく書いています。

 

 

◆心の病気、鬱症状はいつも「本気」で「純粋」な狂気であることを忘れてはいけない~病院選び

 

ここからは離婚前後の話に出てきた精神面の問題との絡みの話です。

 

ご夫婦が不安定な家庭では、妻が当てつけで命を脅かすような未遂行動をとるとか、それはこちらを試す気持ちでやっているだけで、本気ではないから放っておけなどと言って、軽く意見されている方をたまに見かけるのですけれども、それに対して私が声を大きくして言いたいのは、

 

それは病気です。
要治療。

私が体験者として思うに「彼らはいつも本気」であり、「純粋」であり、そしてそれはPMSにも似ていて、何者かに思考回路や感情のほとんどをを支配されている状態です。

 

本人の意思ではなく「病気」、そのことに本人も気が付いていない病気です。パートナーである人が強く症状に関わっている場合はそれが明確に分かるはずの病気ということも先にお伝えしておきたいと思います。これは逆に夫である男性に起こった場合であっても同じではないかと思います。

アルコール依存症なども意志や心の弱さではなくて「病気」としばしば言われていますが、それとかなり近い印象であるがします。

 

 

結論から言うと、これは私の経験談ですが、まずは思いつく近所の小さな心療内科ではなくて大学病院のような大きな病院へ連れていくことをおすすめしたいと思います。

 

なぜ大学病院をすすめるかというと、私は結婚時代に3度病院へ行っていて、そのうち最初の2つは小さな近隣の病院でした。そして、結婚時代に行った最後の大学病院を離婚後に再診し、その後そこからの紹介で小さな病院へ転院しています。ここからは詳しく各病院の内容と治療方針などを追っていきたいと思います。

 

 

◆結婚時代の1院目(近所の心療内科のある小さな病院)/精神や心の病気に関連する病院選び

 

1度目の病院へ通ったのは私自身の選択でした。数日前に「発作的な衝動を起こし、このままではだめだと思って足を運んだとかそういったことを記憶しています。(もうこの辺りは記憶が定かではないです)

 

とても近隣にあった事と「精神科」ではなくて「心療内科」と看板に書いてあったことで行くことに決めました。もしかすると差別的な言い方になってしまうかもしれなくて申し訳ありませんが、当時の私は「産後うつ」なんだ、「病気ではないんだ」という気持ちがまだあったからだと思います。

 

その病院では両手に乗せきれないほどの5種類だったかそれ以上だったかの大量の薬を処方され、指定された量の薬を飲むと、殆ど1日起き上がれないほどの状況にすぐに至りました。私がその状況に至ったのは産後1年ほどの頃だったと思います。夜泣きによる慢性的な睡眠不足が私を襲っていました。

 

 

処方されたのは廃人になる薬。

 

その頃はまだ1日中娘と自宅で過ごす生活だったので、とてもこの薬を飲んでは育児も家事もできないということが分かり、飲む分量を減らしますが状況はあまり変わらず、そうしているうちにこれは私を廃人にするための薬なのではないかと体感として感じ始めます。廃人にすることで思考回路や感情を受領すること自体を行わせないようにするといった印象です。

 

1人であれば余生を廃人で暮らすのでもよかったかもしれませんが、娘と生きるのに廃人になって寝たきりで生き延びることが解決策だとはとても思えなかったのと、子が1日中いる中で、その状態で対応することがとにかく辛かったため、私はその薬を飲むことを断念します。

 

そこまでの間に薬による体調不良で気が紛らわされて時間も過ぎ、良いのか悪いのか絶望に対する感情は既になだらかになっていたこともあって、薬を飲むことをやめて数日後には元の生活に戻りました。ただ、睡眠不足は同じように続いていましたし、「薬が効いて戻れた」という状況では決してなかったということはお伝えしたいと思います。

 

 

◆結婚時代の2院目(近所の精神科のある小さな病院)/精神や心の病気に関連する病院選び

 

2度目は離婚までの1年以内に起こったことで、私が発作のような激しい希死念慮に襲われ、泣きわめき暴れて自暴自棄の状態という半狂乱の興奮状態という場面が突如訪れました。ここがPMSとの合併症状だった可能性が疑われるシーンです。

 

■PMSの各種症状ついてはこちら↓

生理を制すれば女性「性」を制する!?PMS離婚も?種類と症状
今回はざっとPMS(月経前症候群・月経前緊張症)の種類と症状について列挙しました。また、それが及ぼす効果についても考察してみました。幸せにしたい気持ちはあるのに彼女の気持ちが全く分からないという男性にも是非知っておいてもらいたい内容です。

 

ちょうど週に一度の夫の休みの日で、私が「今日」看て貰える病院をどこか探して欲しい、と泣きながら夫に訴え、いつもに増して危ないと思った夫が連れ込んだのが2番目の病院でした。(今考えると休みの日に元夫には悪かったと思います)夫が色々と電話をかけ、車で行ける程の近隣で見つけてくれた病院でした。

 

 

このまま帰ると
エネルギーがあるのでとても危ない

とにかくその時の私は既に死に関する一種の興奮状態で、ぎりぎりそのパンクしそうな容量の感情を胸に抑えて、その危ない異常な心境を医師に説明することは出来ましたが、医師からは感情の発作を止める(?)ために点滴で鎮静する必要があると言われ、「このまま帰るとエネルギーがまだあるのでとても危ない」と言うようなことを夫に説明していました。私にもその意味はとてもよく分かりました。

 

ここまでの状態に至るまでに、私は自分の精神状態が再び少し危ない水域にあるということを数週間前から認識していました。最初は病院を自分で探し、出来るだけ近隣で大きめの病院や評判のいい病院を検索したところ、その殆どがカウンセリングがあり、2週間から1ヶ月以上もの「予約待ち」でした。他の症状であればそれを待つというのも一つの手だと思いますし、軽度の症状の時にはそうした「待つ」選択肢もできる方は良いとは思います。

 

 

ただ、私のような育児中に発生した精神的な問題の場合、日々はすでに1日1日がとても過酷でキャパオーバーであり、心底疲れています。おそらくはとっくに「産後うつ状態」となると、

命を脅かすほどではない軽度の不安定な状態はもうこれまでも産後から長く続いているので、わざわざ病院へ行かなくとも「乗り切れる」という判断になってしまいます。また、あまりにも日々に疲れ過ぎていて、「病院へ行く」という労力を毎日の家事育児の重労働の上へ、さらに重ねるという気持ちにきっとならないと思います。

 

というわけで、2度目の病院は「末期」を迎えた発作のように爆発した希死念慮と共に行くことになりました。当日受付をしてくれる病院でしたが前述のように「点滴での強制的な鎮静と入院」を勧められました。

 

 

爆発した希死念慮を
取り除くために点滴で強制的に止めるという提案。

 

記憶が確かではありませんが、その医師は3日間~5日間ほど入院してその点滴を続けることを強く推奨していたと私は記憶しています。爆発している興奮状態をまず(実行が出来なくなるほどの状態にまで沈静して)止めないとならないというような内容だったと思います。同意書へのサインを求められました。

 

専門家ではないのでそれが具体的に「何という薬」でどういう症状にするものだったかは分かりませんが、前回の病院で処方された薬の影響で2週間ほど寝たきり廃人となった経緯があったことから、直観として「同じ方向性の治療方針(?)」であり、この点滴をすることによって、本当に本当に私は「意思」や「感情」というものを手放すことになるのかもしれないという危機感を感じました。

 

奇遇なことに、元夫も当時、同じような「危険」をたまたま感じたようで、その日は何もせずに帰ることを私たち夫婦は選びました。また前回の病院のさらに2倍ほどの量の錠剤を大量に処方され、そちらは自宅で処方通り飲んで、もちろん数日間、薬を飲むことをやめるまで廃人状態となりました。

 

 

あとから聞いた話では、元夫は帰りがけに「同じような興奮した状況でその日に命を落とした人が大勢いる、後悔しないために本当に入院させた方がいい」という話を最後まで医師からされたようで、その日は「実行」の可能性があるから必ず薬を飲ませることと、夜は特に注意することを強く言われたそうです。

 

この助言のおかげで今日私はここにいるかもしれないのと、このような希死念慮の興奮状態において、この医師が言っていたことは確かに真理であり、医師としてベストであって、私はあの時は完全に棺桶に片足ツッコんでいたという実感もあります。

 

なのであまり、この病院の事も悪くは言いたくありませんが、今から考えると1つ目の病院も2つ目の病院も処方されている薬とそれが与えた効果を考えた時に、根本的な治療を施していないと思う事です。

 

 

簡単に言うと、「生きるのがつらい」→「つらいと感じる思考能力や感受性を奪う」という治療方針のような気がします。その効能だけが単独で起こるのであれば100歩譲って、いいのかも(?)しれませんが、それ以上に副作用として「日常生活の継続困難」があり、私はこの薬を飲んでいる間は社会では働けないだろうと感じました。

 

また、思考能力や感情を奪う事自体、私という個が「生きる意味」を根こそぎ奪う方針に思えてなりません。

 

私という個が「生きる意味」。

 

 

◆結婚時代の3院目、離婚後の1院目(東京女子医大病院 精神神経科)/精神や心の病気に関連する病院選び

 

3院目の東京女子医大は当時、当日の診療が行える曜日、あるいは初診受付枠を確か持っていました。(2010年前後)私は当日に診察を受けることが出来ました。(現在は新宿区は基本的に予約制のようですが、荒川区の方は当日の初診受付枠があるようです。症状や状態によっても変わる可能性もあるので電話で確認してみてください。)

 

■東京女子医科大学(新宿区 河田町)精神神経科はこちら(外部リンク)
■東京女子医科大学東医療センター(荒川区西尾久)精神科はこちら(外部リンク)

 

東京女子医大のとてもよかったところは、待ち時間のうちに現在の精神状態をチェックするかなりガッツリとした量のテストを行った後、そのデータを元に予診の段階で私の時には「臨床心理士」が20-30分ほど(時間が正確かどうかは不明)とても親身にカウンセリングというか問診を行ってくださいました。(現在は新宿区の方は「初期研修医」という記載があります)

 

 

その後に担当医師となる医師に軽く問診を受け、処方する薬の説明を受けます。私が女子医大で処方された薬は最初から「たった1種類」でした。

 

その後、通っている途中で私たち夫婦は離婚となり、暫く離婚関連の雑務や引越し、再就職活動が忙しく通っていなかったものの、離婚後は結婚時代とはまた違う角度の激しい苦しみに襲われ続けていました。離婚後、3社目の会社を退職した後、心が折れそうな4社目の就職活動中に改めて女子医大に再度行くことにしました。

 

 

そして前回と同じ担当の医師は、また同じ「1種類の薬」だけ処方をし、

「これは命のお守り。だから苦しくて危ないなと思ったら飲んでください。君は薬に頼らなくても、ちゃんと必ず治る。しばらくかかるかもしれないけど一緒に頑張ろうね。」と言ってくれました。どれだけ大きな勇気を与えて貰ったことか。
(書いていてうっかり涙が出てしまいましたw)

 

 

◆離婚後の2院目(元東京女子医大に居た医師の開業した診療内科)/精神や心の病気に関連する病院選び

 

再就職活動中は東京女子医大に通い続けることが出来ましたが、勤務は子供の生活を考えて平日のみで就活していた為、これまでのように平日に時間を考えずに待ち時間の長い女子医大へ通院することが困難となりました。

 

 

そこで、再就職が内定した段階で土曜にも診療している別の通いやすい病院を担当の医師に紹介してもらいました。快く紹介して頂いた病院は小さな病院でしたが、元東京女子医大の精神神経科に居た医師が開業した病院でした。

 

担当の先生のキャラクターはだいぶ違いましたけれども(笑)、ほぼ処方の方針は同じでした。言葉にするのが難しいですが、自分の中に本来ある「回復へ導く力を大事にする」という印象です。これは、その後私自身が内側の「声」を聴くような工程を自分の中で展開するきっかけにもなった気がしています。

 

 

内側の悲鳴に向き合う事、私の内側は何に対して悲鳴を上げているのか、どんなことを望んでいるのか、という問いかけのスタートになりました。

 

内側の声を無視し続けた時、
ある日、内側は暴れだすことになります。

 

薬が少ない方がいい悪いということは、私には専門ではないため分からないのですが、私の場合、「鬱症状」からの感情的希死念慮の発作の原因が明らかに自分と元夫の結婚生活睡眠不足孤独であったので、原因となる全てから遠のいている以上、回復する可能性がかなり高い、という医師の判断もそこにはあったのかもしれませんし、大量の薬を処方されて廃人のような生活になったことを事前に話として出していたからかも?しれません。

 

 

紹介された次の病院でも、全く同じ薬を1種類だけ処方してもらい、こちらの病院へ通い始めてからは「銀行勤め」という離婚後初めて長期勤務が出来そうな会社へ所属できたため、その安心感や希望で数か月後にはもう殆ど薬を必要としない状況になっていました。

 

また、その後数ヶ月して、私は趣味の世界に導かれ、「自宅」「会社」以外の「第3の世界」を持つことが出来ました。正直、精神的落ち込み、鬱症状を最も劇的に回復させたのは薬でも通院でもなく、この「第3の世界」を持ったことによります。(※厳密にはこれも本質的な回復とはまた別です)

ただ、そこに至るまでの瀕死の精神状態を各場面で首の皮一枚で繋がってこられたのは、本当にそれぞれの病院で出会った医師のおかげだと思っています。

 

 

特に東京女子医大の先生と、その先生の紹介して下さった開業医の先生は色々な意味で私が「私自身の内側の声を聴くこと」「彼らとうまくやっていくこと」というその後の工程のきっかけとなることやヒントを多く与えてくれた存在だと感じています。それこそがまさに幸福力をつけていく工程でもあったので、本当に感謝しています。

 

◆離婚後9年での私の精神と心の経過

 

当時の私はそういうわけで正に「ビョーキ」であり、結婚生活での発作的「ビョーキ」の原因は他でもない夫との不調和でした。不調和自体が解決できればよかったのですが、どんなにあのまま頑張っても、あの時の私、そして彼(元旦那)には無理だっただろうというのが最も実感に近い答えです。

 

 

◆元々は素質であり持病だった精神系こころの問題。持病を煽る結婚生活はアレルギー物質のようになる

 

元々、私は10代後半からPMSの精神的な症状が非常に出やすく、そうした精神的な不安定さは、ほぼ素質というか持病だと思ってきました。けれどもその症状が「発作的な激しい悲しみを伴う希死念慮」として継続的に反復して出たのは結婚時代だけで、いわば、元夫との暮らしはそうした症状を煽る「アレルギー反応」を起こしている状態だったのだと思います。

 

 

その「ビョーキ」についても病気の原因が当時の私にとっては夫との不調和、不調和が解決できない相手と一緒に暮らし続けていることであり、原因の根幹である不調和を解決するには私たち夫婦はお互いにあまりにも若く未熟でした。従って、私たちはその時点で夫婦としてとっくに詰んでおり、お互いの幸福を守る意味でも、病気を治すためにも離婚は避けられなかったものだとも思っています。

 

元夫のいない離婚後も何度か「希死念慮」が頭の片隅に浮かんでよぎるということはありました。離婚後の再就職を繰り返した時には不毛な暮らしが続いたので、当然心が弱る場面があり、じわじわと死神の影が近づいてくるような瞬間というのはたびたび訪れました。

 

 

けれども離婚後はいずれも一過性のもので、継続的に反復して起こるような深刻な状況には至っておらず、そうした鬱期間も徐々に起こる頻度に間隔が空いていき、離婚後発作的な状況に至ったのは最後の会社に属していた時の退職する1年前ほど前、たった1度だけでした。

 

最後の会社に所属していた時には年間2回くらいは「その気配」は感じていたものの、「発作状態」までの段階には殆ど至らずに済みました。それでも在籍期間の最終段階では「いのちのおまもり」として渡されていたあの薬を会社で飲むことは何度かありましたし、このあたりに達したところで、離婚時の状態や経過を知っていた私は「今の状態を継続することは危ない」ということを肌で感じるようになります。

 

元夫との結婚生活における前述のような「発作」地獄のような苦しみを体験していた為、それに比較すれば比べ物にならないくらい数段軽度なものではあったものの、徐々に同じような経過をたどりつつあることの認識がありました。こうして改めて考えてみると、最後の会社での最大のストレスだった「女上司」は、「元夫」と同じような「発作」を促すアレルゲンだったのだと確信します。

 

 

別名「梅核気(ばいかくき)」と呼ばれる「咽喉頭異常感症」症状が実際に出た段階で、確実に「あの状態」をなぞっているということを自覚しました。

 

梅核気は私が離婚の最終段階で初めて体験した症状で、強いストレスによって発生する独特の症状です。相手が発した、心ない言葉のトゲに反応して喉のあたりの梅干しの種のような感覚がする異物(普段は感覚として存在しない異物)が、喉の奥の方へ動いていってギューッと呼吸を止めようとするような感覚が起こります。(私も離婚時と最後の会社の時にしか後にも先にも経験していない症状です。)

 

しかし、そのような「アレルゲン」であった人々が、私の人生を好転させるキーパーソンにもなり得るのです。私の場合、発作を起こさせたこの二人は二人とも私の幸福力を築くうえで欠かせない登場人物でした。

 

■最後の会社・女上司との格闘の日々はこちら↓

「会社組織」辞めて1年④「バンジー退職」の背景にパワハラ女上司
今回は、バツイチ子持ちの私が2018年に会社を辞めて、半年で会社員給与を超え、現在までの1年間を振り返るシリーズその④です。今回は「会社を辞める」という選択ができた理由についての2回目(ラスト)です。ちょっと今回はテーマが重いので長いです。

 

ここまでの「ビョーキもち」の自分が、現在までには「もう自分の事を不幸だと思う未来がある気がしない」という圧倒的な精神的安定(?)まで至るというのですから、人生は本当に分からないものです。

 

もともと持病持病なので、また何かのタイミングで死神は残りの人生でもきっと訪問してくるでしょうが、私の中ではもう死神にも「おお久しぶりだね」位の挨拶が出来そうな私の劇場では欠かせない、物語を面白くする「キャスト」のひとりという扱いになるまでに至っています。

 

ユニークさん
ユニークさん

オイッス。

 

また、現在私が握りしめている「幸福力」は、ここまでの死闘があったからこその戦利品だと思っています。現在の私の収入状況も風が変わればいつなん時どうなるか分からないような、まだまだ不安を残すものですし、元々そこまで「稼ぐ力」はない方なのでw、

「精神的安定感には必ず経済的な問題の基礎解決は必要になってくる」とはいえ、そこを超えた時、「幸福力」という方の富に関する主軸は決して「経済力」が支えるものではないと思います。

 

そこで糧となるのは
間違いなく
自分の人生の中の精神的な死闘の歴史です。

 

ですから、今とても苦しい状況に居る方にお伝えしたいのは、今ある不毛な状況が無駄で、間違っているわけでは決してないということ、より大きな「幸福力」という富の獲得に向かって、自分は毎日、日々闘い、エネルギーを貯め、進んでいるのだと、言い聞かせてあげて欲しいです。私も突破口になったことや考え方の移り変わりなどについてはこれからも出来る限り書いていきたいと思っています。

 

私の今回の長い長い記事が、いつかどこかで、誰かの幸福力に少しでも寄与すればいいなあと思って今回は書きました。その人がそうした力を手に入れたら、きっと種を撒ける人はどんどん増えます。

 

この国は、平成という時代の間、とても多くの人の間で悲壮感という病気が蔓延して、たくさんの人が精神的な力にダメージを負い、描くイメージも重く暗いものが多かった気がしています。

 

けれども今、例えば団塊ジュニア、氷河期世代の人々や、育児中の女性のような、既に時代を引っ張る世代になったまだまだ若い層が幸福力というエンジンを得たら、これまでたくさんしゃがんでいた分、人一倍大きな喜びと幸福力を得られるはずだと私は思っています。

 

私自身が実際にそうだったからです。
(変な宗教やってません、情報商材売ってませんw)

 

突破してその風景が見えた時、きっと自分に与えられたこれまでのしんどいストーリーも全てこの風景に辿り着くための伏線だったのだと思える体験に繋がることになると思います。私も次の風景を見るために、これからも気ままに(笑)発信を続けていきたいと思います。

 

長文にお付き合いいただいてありがとうございました。

 

それではまたお会いしましょう。

中野カンナ

 

■私の幸福力獲得へのアプローチ(その①)

冬苦手という基本体質&しなる強さの幸福力を女性がつける為の提案
今回は私自身の寒い冬が苦手という「基本体質」とその延長上にあった「暗黒20代」という話の概要、「しなる強さの幸福力」をつけるための取り組みとしてスタートラインで自分がやってきたことと、そこから得た意識などのお話です。

 

 

【お知らせ 2020年1/10】

当面、まだまだ本業サイト、副サイトが生業の活動(経済状況)であるため、こちらは週1更新目標という、手探りでアツくゆるく運営するサイトとなっています。(更新がない場合は、今月のアッチの数字が悪いかなんかだなと思っていただければと思いますw)素人感たっぷりだとは思いますが、熱意だけはあって
twitterアカウント「中野カンナの女道」を準備しました(笑)←実はこっちも良く分かっていないw にわかにつぶやいています(笑)

 

中野カンナ
中野カンナ

宜しければフォローをお待ちしております。

 

なお、同姓同名が多発している「中野カンナ」ですが、現状で運営しているのはこのブログとtwitterアカウントのみでその他は他人様です(笑)

本人に心のゆとりが生まれましたら、またFacebookなども開設していくかもしれませんし、しないかもしれません(笑)その際には都度お知らせいたします。よろしくお願いいたします。

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